リゾカジ カジノレポート

澳門回帰10周年特別編 帝王余話(Invictus:1999~)

* マカオ 2010/ 01/ 22 Written by マカオの帝王

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■ 2009年12月25日(クリスマス)

関空発マカオ航空837便は、定刻通り現地時間午後8時にマカオ国際空港に着いた。

タクシ-に乗り込み、運転手に「葡京酒店(リスボアホテル)」と行き先を告げる。

街中に溢れる、中国返還10周年を祝う『慶祝回帰10周年』のイルミネーションを眺めながら思う。

『あれからちょうど10年か……、欧米人は“Decade(10年紀)”単位で物事を考えると言うが、それに習うとすれば新しい“Millennium(千年紀)”の最初10年紀が、あと一週間で終ろうとしている訳だ。この10年でマカオほど変わった街も他に無いだろうな。そのマカオの地で、全盛期と比べ僅かな軍資金で、大晦日までどうやって過ごそうかな?』

10年前と変わらないリスボアのカジノのクロークにバッグを預け身軽になり、軽くバカラをするが、何故か情熱が沸いてこない。
いつものように全勝負バンカーに賭けるが、行って来いの展開で、コミッション相当分の約5千ドルの負けで一旦終了する。
ブラックジャックも考えたが、どうせするならエースの再スプリットが可能なMGMの方がルール的に良いと思い、取り敢えず見送る。

足が自然に“新葡京(グランドリスボア)”上階の、アジア最大を謳い文句としているポーカールームへ向う。

ここでは毎日何らかのトーナメントと、リングのキャッシュゲームが開かれており、テーブル総数33は確かに他のカジノの、おまけのようなポーカールームと比べると圧巻であった。

スモールブラインド:10ドル、ビッグブラインド:20ドル(場代のようなもの)の一番安いレートのテーブルに上限の3千ドルをバイインして座る。

バカラとBJ専門の“マカオの帝王”ではなく、ポーカープレイヤー“マカティ”のお出ましであった。(何故か国内のポーカー仲間の間では、「“マカオの帝王”は偉そうで呼びにくい。省略して“マカティ”だ!」という訳で、“マカティ”と呼ばれています)

いつのまにか時計の針が12時を回り、2009年のクリスマスが終る。

無料サービスのビールを何杯も頼む。(グラスが小さいのが玉に瑕)

日本を出る前の日(クリスマス・イブ)に、大阪のポーカーができるショット・バーで美人姉妹と一緒に、前祝いに高級シャンパンを開けたのを皮切りに、朝まで酒を飲みながら常連客とテキサスホールデムに打ち興じた反動からか、急激な眠気に襲われる。

『もうそろそろ限界だ。どれどれカードはと……、おっとクラブのキングと9だ。これがバカラならナチュラルナインで即勝ちなのに、ポーカーだとマァマァ良い手止まりだな。 けど、あれこれ考えるのも面倒になってきた。ここは一つオールインしてみるか? ポットは大した事ないが、スチールできれば良し。仮にコールされて負けても所詮バカラのワンベットだ』

そう思い、約3千ドルのオールインを宣言する。

すると以外にも対面のメガネのおっさん(最も年齢は自分と同じ位だったが……)が即コールしてきた。

他にコールする者はおらず、ディーラーに促され共にカードをオープンする。

当方のクラブのK&9に対し、メガネのおっさんのカードは何とダイヤとハートのキングのペア!
テキサスホールデムではエースのペアに次いで2番目に強い手だ。

『負けた!』と思った。

ディーラーがフロップ(共通カード3枚)を一気にめくる。
スーツ(柄)はバラバラのQ、J、10!
いきなりストレートが完成する!

『勝った!』と思った。

ターン(4枚目)は双方に無関係な3。
依然として天を仰ぐメガネのおっさん。

しかし、ポーカーの神は気まぐれだった。

リバー(最終の5枚目)で9が場に落ちる。
これによりメガネのおっさんにも、当方と同じキングハイのストレートが完成する。

結果はチョップ(引き分け)に終った。

ディーラーにプレイ終了を告げ席を立つ。

タクシーに乗り込み、金龍酒店の対面にある“正宗足浴及全身按摩 適合男女老少 内設独立豪華睡眠区 24小時営業”を売り物にしている健康マッサージ店に入る。

クリスマス料金でバカ高いホテルを避け、ここで足と背中をマッサージして貰った後に、店内の“独立豪華睡眠区(平たく言うと仮眠室)”で朝まで眠るという訳だ。
(費用は約200ドル)

マッサージが始まり、瞼を閉じると記憶は自然と10年前に戻っていった……



■ 1999年12月25日(西オ-ストラリア・パース)

「乾杯! そしてメリー・クリスマス!」

西オーストラリア州の州都である風光明媚な港町、オーストラリア人がリタイア後に住みたい街No.1に挙げられているここパースに“マカオの帝王”は来ていた。

「世界中どこでもカジノは年中無休だと思っていたけど、さすがにキリスト教徒の国だけあって、クリスマスは休みか……、まぁ、そうでもないと○○ちゃんとゆっくり食事も出来ないし、これはこれで“無問題”だったかな」

パースを代表する豪華カジノホテルであるバーズウッド内の高級レストランで、小悪魔的な二十歳の女の子と、恐らくはカジノのコンプで無料になるであろうクリスマスディナ-を食べながら、半月前の日本の会社でのやり取りを思い出した。

(1999年12月上旬:大阪)

「これは一体何かね?」
「何って、有給休暇の申請ですよ」
「それは解るが、この年末の皆忙しい時に、しかも来年は“西暦2000年問題”で大変なのは君も解っているだろう! 18日から年内ずっと休むなどということは、上司としてとてもじゃないが認める訳にはいかない! 会社には、時季変更権というものがあるのだよ」

本部長のお気に入りのお堅い上司は、不機嫌そうに有給休暇の申請書を両手でもて遊んだ。

『やはりこう来たか……しかしもう18日に関空発、香港(マカオ)経由、オーストラリア・パース行きのキャセイのチケットを彼女と二人分発券済だ。パースのバーズウッドホテルもブッキング済だし、今更キャンセルする訳には行かない。仕方がない、例の条件を持ち出すとするか……』

ゆっくりと切り出した。
「課長、僕も会社の事情をまったく理解していない訳ではないのです。その“西暦2000年問題”の対応要員として、確か正月3が日の期間に電話応対の為に誰か出勤しないといけない筈ですよね? 地方出身者や、所帯持ちの人にとっては、それは出来れば避けたいことでしょう。僕の方は現在独身だし、幸い大晦日には帰国する予定です。その後は特に予定は今のところ有りません。そこで、その正月期間中の“電話番”を全てお引き受けしますので、それと引き換えでどうですか?」

東アジア担当駐在員の間で“マカオの帝王”という異名を持つ、目の前にいる扱いにくい部下の性格、上司としての面子、割り振りの進まない正月3が日の“電話番”要員、頭の中で様々なファクターを勘案し、渋々ながら机の引き出しから承認印を取り出した。

「それじゃあ、進行中の仕事は17日までに区切りをつけること。正月3が日の対応についてはマニュアルを良く読んでおくこと。以上だ……」
大手電機メーカーの大阪本社で、元香港駐在員の“マカオの帝王”は心の中で舌を出した。


「それにしても、本当に良かったんですか? 私が香港・マカオだけじゃなく、オーストラリアのパースという綺麗な街にも行ってみたい、けど年末年始は実家で家族と過ごしたいので、大学が休みの18日から28日までしかご一緒出来ない、と無理を言ったらお仕事の方をそれに合わせてくれたみたいで……」デザートのアイスクリームを食べながら、申し訳なさそうに彼女が言った。

「心配は無用だよ。エアチケットの方も、18日出発までは安かったし、前にも言ったと思うけど、今年はカジノが絶好調で、ここまで6回のマカオ遠征、いや今回パースに来る前にストップオーバーで寄ったのも含めると7回のマカオ遠征のトータルの勝ちが75万香港ドル! 今約14円だから、軽く一千万円オーバーだ! 8月に浮気したマニラでも50万程勝ったし、ここまでこのパースでも約2万オーストラリア$勝っている。もう今の退屈な仕事なんか辞めて、来年からはプロになろうかなと考えている位で……」
カジノの戦績は本当だったが、周囲に釣られて乗り出したマンションと株式への投資では大幅な含み損を抱えていること、それ故に今回の年末長期遠征で勝ち越さないと資金繰りが危なくなることは伏せておいた。

「凄ーい! でもカジノでは殆どの人が負けるんでしょ? そんな中でどうしていつも勝てるんですか?」瞳をキラキラと輝かせながら彼女が尋ねた。

「マカオでも、ここパースでもバカラをする場合には法則があるんだよ。それは全勝負後攻めのバンカーに賭ける、ということなんだよ。 去年までは時々プレイヤーに賭けていたので、負けることもあったけど、今年になって反省し全勝負バンカーに賭けることに決めてからは負け知らずだ! 調子が出るまでに多少沈むことはあるけど、必ずどこかでスィッチが入り、後は確率の法則に従って最終的にはいつも僕が勝つという訳さ。(……今となっては、とても高校3年の時に、河合塾主催の全国統一模試の科目別(数学)で全国1位になった者の言葉とは思えない)

インド洋に沈む夕日を眺めながら、普段余り飲まない赤ワインを飲んだ反動か、或いは“持病”のナルコレプシー(日中、突然眠たくなるという睡眠障害の一種。ギャンブル作家として有名な阿佐田哲也氏などが有名)の発作によるものか、突然睡魔が襲ってきた。

チェックのあと、スロットでもして遊んでおいで、と500ドルチップを1枚彼女に渡し、部屋に戻った途端ベッドに崩れ落ちた。

薄れ行く意識の中で、ぼんやりと考えた。

『もっと、もっと勝つぞ! アウェーのパースでもしっかり勝ち、帰りにホームのマカオであと最低25万ドルは勝ってやる! これが言葉の通りの “カジノ資本主義” という奴だ! それを元に株で増やし、マンションのローンを叩き返し、会社に辞表を出してプロフェッショナル・ギャンブラーなってやる!』

後に言う “ITバブル崩壊” が迫る中、この時が頂点(ピーク)だとも知らず、南半球:オーストラリア・パースの地で、返還前の香港駐在員の間で “マカオの帝王” と呼ばれた男の、世紀末のクリスマスの夜は更けていった。

■ 2009年12月26日

朝9時、金龍酒店対面の健康マッサージ店の“内設独立豪華睡眠区”で目を覚ます。

朝の散歩で旧ヤオハンを改装した新しいカジノ、“Oceanus(海立方)”を覗いてみる。

昔は向いの鉄火場のハイアライ(回力娯楽場)で、目に血の入ったオッサン連中と一晩中バカラの殺伐とした勝負をした後で、気分転換に対面にあるこのヤオハンに一歩足を踏み入れると、穏やかな表情の子供連れの夫婦や学生などに囲まれて、ちょうど良いクールダウンになったものだが、その思い出の場所がどこにでもある、バカラ中心の凡庸なカジノに変わったことを確認すると、プレイすることなく退散した。

タクシーを拾い、リスボアホテルに向う。

持ち込んだ日本円を両替すべく、ここの1階にある“Banco Delta Asia”に向う。

当初はどこかのカジノでの日本円ホールドも考えていたが、方針を変更しカジノに対して一切の負い目を感じないで済むよう、今回は無料宿泊も、各種コンプも、日本円ホールドも使わないことにする。

何故か銀行は閉まっている。
張り紙を見ると、どうやら“クリスマス特別休暇”だとかで、午前中はお休み、午後の1時から6時は営業している、とのこと。

『困ったな、レートの悪いカジノ内で両替する気は無いし、仕方が無い。手持ちの僅かな香港ドルで、またグランドリスボアでポーカーでもするか?』

そう思い直し、目の前のグランドリスボアに向う。

半分位は昨日の晩と同じメンバーに囲まれ、再びポーカー(テキサス・ホールデム)のリングゲームを始める。
レートは10-20とタダみたいなもの。
勝っても、負けても、何故か楽しい。

最近はバカラをすると空しい。(バカらしい)
ブラックジャックをすると腹が立つ。

それに引き換え、ポーカー(テキサス・ホールデム)では勝った時は勿論、負けた時でも人間同士のやり取りなので納得がいく。

時間を忘れ、2時過ぎまでプレイする。

勝った時に取られる5%のレーキ(手数料のようなもの)分だけマイナスで席を立つ。

さっき閉まっていた“Banco Delta Asia”に向かう。

リスボアのカジノ内の両替所では1万円=818香港ドルであったが、北朝鮮御用達の“Banco Delta Asia”では1万円=840香港ドルと好レートで両替が出来た。

『一晩待った甲斐はあった。約2千ドルの儲けか……、さて、勝負の前に腹ごしらえでもするか?』

プレジデント・ホテル裏の、昔から行きつけのポルトガル・レストランに向う。
海沿いの埋立地にお洒落な店が沢山出来ていることは、ガイドブック等で知っている。
けれども、旧き良きマカオマニアとしては、『そんな昔は“海”だったところで落ち着いてメシが食えるか!』 ということで、どうしても足が旧市街に向いてしまう。

お気に入りのクリームたっぷりのシーフード・スパゲティと青島ビールを頼む。
お代はチップを含めてちょうど100ドル。

高い料理が美味いのは当たり前だ。
100ドル位までで美味いものを食べられるのが、マカオの良いところだと思う。
マカオグランプリのコースでもある道路を横断し、向かいのMGMに向う。

限られた軍資金でブラックジャックの勝負をするとしたら、エースの再スプリットが出来、黄色い千ドルチップが綺麗で、過去の戦績も良好なMGMと心の中で決めていた。

午後3時半、イエロー60枚を元手に、4ボックスに1-2-3-6単位でベットする【帝王式BJ】が始まった。

1時間半後、40枚が溶ける。

テーブルを移る。

1時間半後、更に18枚が溶ける。

マカオでブラックジャックをする場合、オールイン勝負はしないことにしている。

何故なら、最後の勝負のつもりがダブルやスプリットの目になった時、例えばソウルなら手持ちの日本円でその場で両替が可能だが、マカオだとそれが不可能である為、みすみすチャンスを逃すことになるからだ。

バカラ台で残り2枚を賭け勝負するが、あっさり転がされる。

今回日本より持ち込んだ軍資金の主力部隊が全滅する。

『確か今日はベネティアン内のモートンズで、8時半からリゾカジの“ステーキ忘年会”があったな。余り気は進まないが、本場のステーキでも食べて気分転換を図ってみるか?』

MGMに別れを告げ、タクシーに乗りベネティアンに移動する。

相変わらずここは馬鹿でかい。

モートンズに入り、リゾカジの予約名“ナチュラル9”を告げると、先客が一人いる、と言われる。
“酔拳”で有名な、以前大阪のオフ会で逢ったことのある“さいゆうき”さんだった。

しばしカジノ談義をする内に、幹事のJ’sさんを始めとするメンバーが到着する。

J’sさんには本当に頭が下がる。
自分自身の勝負も有るのに、いくら中国駐在で言葉が出来るからといって、まったくのボランティアで、親身になって他人のアテンドをすることなど、当方にはとても出来ない。

去年もここで横浜の“ゴット”さん達と忘年会をしたが、その時は前菜を食べ過ぎて肝心のメインのニューヨーク・ストリップステーキ(640g)を殆ど残してしまった。
その反省から、今回は殆ど前菜に手を付けず、何とかメインのステーキを完食する。
隣に座ったTANNOYとポーカー談義をしている内にお開きとなる。
その流れから、足が自然とモートンズの真ん前に新しく出来たポーカールームに向かう。

グランドリスボアより千ドル多い、4千ドルの初回バイインでリングゲームに参加する。
ここは何故かブラインドが10-25と変則的なシステムをとっており、その為かポットがグランドリスボアの10-20のテーブルに比べ膨らみ易かった。

一進一退が続くが、モートンズでのシャンパン&ワインの酔いが回り(最近歳のせいか酒が弱くなった)眠くなった為、手持ちが半分になったところで席を立つ。

出口に向かう途中で、テーブルの全員がプレイヤーに張っているバカラ台が目に入り(プレイヤーの6連勝中)おもむろに座りバンカーに1万ドルをベットする。

プレイヤ-3、バンカ-2。
プレイヤ-はここから2を引き5で確定。

足は有る。
横にする。
バンカ-は2サイド。
勝利が確定したのでカードを放り投げる。
しかし、何故か5千ドルしか貰えない。

ディーラーに抗議すると、「はぁ? 貴方何を言ってるの? ここはノ-コミッション(バンカー6)の台ですよ。あなたの3枚目は4、すなわち合計は6点。だから配当は半分の5千ドルですよ」と諭される。

良く見れば、テーブルの色は紫だった(ベネティアンではノーコミッション台は紫色、通常のコミッション台は緑色で区別されている)

渋々納得してカジノを出、タクシーで再び金龍酒店対面の健康マッサージ店に向かう。

また来たのか! と店員に呆れられながら同じコースを頼み、同じ“内設独立豪華睡眠区”で眠りにつく。


■ 1999年12月27日(西オ-ストラリア・パース)

「Player 8(アイト)、Banker 3、Player win!」
インターナショナル・ルームで金髪の女性ディーラーが結果を宣言した。

『何が“アイト”だ! ちゃんと発音しろ! それにしてもまたプレイヤーの勝ちか……クリスマス休暇明けから負ける一方だ。2万A$を越えていた勝ちは1万を切った。さて、どうするか……』

「どうも流れが良くないみたいですね? ワタシが見ているからかな……」

「そんなことは無い。無いけど、まぁこんな状態だと傍で見ていても余り楽しくはないだろうな……。ちょっと待って。カジノのマネージャーに頼んで、隣街のフリ-マントルまでクルマを出して貰うから、そこで半日市内観光でもしてくると良いよ」
勝負を中断し、カジノのマネージャーにお願いして彼女を送り出す。

しかし、その後も悪い流れ(プレイヤーが勝ち越す)が続く。

勝ち分が7,500A$まで減ったところで、一度だけ2,500A$をプレイヤーにベットし、ディーラーにオープンさせるとあっさりナチュラル9でプレイヤーが勝つ。

『勝ったは良いが、こんな卓ではやってられない。ブラックジャックでもするか?』

久しぶりにブラックジャックをしてみるものの、ナイフの錆びを落とすのにさっき勝った2,500A$が費やされる。

一人部屋に戻り、シャワーを浴びて休憩。

『今日が最終日だと言うのに、こんなことなら自分も一緒に観光に行けば良かった……。ここパースには香港駐在時代から何度も来ているが、ずっとこのバーズウッド・ホテルの中でカジノをするだけで、殆ど観光らしきものをしたことが無い。折角可愛い女の子と一緒に来ているのに……』

暫く部屋で横になっていると、突然部屋の電話が鳴る。
カジノのマネージャーから、彼女が戻ったことを告げられる。

マネージャーにチェックアウトに備えて清算をお願いする。
キャッシャーに行くと、部屋代とホテル内の全ての食事代がコンプでカバーされた上、最初に預けた日本円の捕虜全て、それに加えて自分一人分の航空運賃相当分がオーストラリア$のキャッシュで戻ってきた。

インターナショナル・ルーム内で彼女と軽く食事を食べる。(結構美味しい)

いつでも出発出来る体制は整ったが、少し時間が余った。
足が再び眼下に見えるバカラ台に向かう。
残った勝ち分のオーストラリア$を千ドルずつバンカーに張るが、ズルズルと沈む。
出発の時間が迫る。

『せめて最後は絞って勝って終りたい!』

さっき貰った航空券代も含めて、手持ちのオーストラリア$の全額(約3千)をバンカーにオールインする。

プレイヤーはナチュラル8(アイト)。
バンカーは2と3ピン(6、7、8のいずれか)。
ゆっくりと斜めに絞る。
一つ付く。

『これで引き分けは無くなったな。上等だ。勝つか負けるか!』

真ん中の列には何も見えない……

パースでの最後の勝負はバンカーのナチュラル9で終了した。

ピーク時の約4分の1に減ったオーストラリア$を握り締め、パース国際空港に向かう。

リムジンの中で、旅の感想を隣の彼女に尋ねる。
「香港は中華が美味しかったです。マカオのカジノも活気があって良かったけど、このパースも素敵な街で、とても楽しかったです。もう一度来てみたいな♪」

けれども、彼女とこのパースに来ることは二度と無かった……

■ 2009年12月27日

ニ夜連続で、金龍酒店対面の健康マッサージ店の“内設独立豪華睡眠区”で過ごす。

朝の散歩でハイアライ(回力娯楽場)に向かう。
ここだけは時間が止まっている。

何だか無性に懐かしくなり、思わずテーブルに座る。
5千ドルだけチップに換える。
千ドルずつバンカーに賭ける。
20勝19敗2引き分け、ちょうどチャラで終了。

行き付けの屋台風の店でワンタン麺と青島ビールを注文する。
「またあの日本人が来たよ。好きだねぇ……」
店内の常連客が呟く。

タクシ-に乗り込み、グランドリスボアに向う。

1階の土産物コーナーで、日本のポーカー仲間用にロイヤルストレートフラッシュをあしらったライターや、トランプ模様のストラップ、マグネット等を買い込む

エスカレーターでひたすら上を目指す。

再び“アジア最大”のポーカールームに入り、10-20のテーブルに座りポーカー(テキサス・ホールデム)のリングゲームを始める。
何故か良いハンドが入る。
ポケットエ-スやポケットキングといった、所謂“モンスターハンド”で周囲を蹴散らす。

壁の電光掲示板を見ると、午後4時から200$リバイ有りのトーナメントがスタートすると出ている。
物は試し、と200$払いエントリーする。

3時50分、同じストレート同士だが、ハイカードの差で相手を破り大き目のポットを獲得したところで、ディーラーに4時から始まるエントリーカードを示しながら退席する。
リングの勝ちは約5千ドルだった。

トーナメント参加者は全部で24人。
結構白人が多い。
リバイがあるせいか、少ない目の持ち点(千点)でスタートする。

いきなり隣でオールイン対決発生。
カードがオープンされ驚く。
先に宣言した女性のハンドは一番弱い2のペア。
それをコールした白人のハンドはQ9(オフスーツ:柄違い)
共にさして強くないハンドだ。

ボードに9が落ち、白人が勝つ。
香港人の女性はそれを確認すると、顔色一つ変えずリバイを宣言し席を立ち、再び千点のチップを持って席に着く。

『そうか、これがリバイ有りのトーナメント序盤の戦い方か……』

納得し、次の自分のハンドを見る。
Aと8、しかも同じスペード。
バカラならナチュラル9だが、ポーカーでもかなり強い手だ。
オールインを宣言すると、オールインを示す妙な三角形のボードが目の前に置かれる。
さっき勝った白人が即コールしてくる。
白人のハンドはTT(10のペア)
ボードに8が1枚落ちるが意味無く白人が勝つ。

リバイする。

そこから快進撃が始まった。

やたらとブラックジャック(エースと10以上のハイカード)が入る。
ブラックジャックはポーカーでも十分強い手だ。

その都度オールインする。
三角形のボードが目の前に置かれる。
4回中3回、コールされる。(一度は3人同時)
ボードにエースが落ち勝つ。
エースが落ちない時もあったが、その時は相手にも何も当たらず、エースハイで勝つ。
同じエースのペア同士の場合もあったが、キッカー(残り1枚のカード)勝負で勝つ。
どんどん目の前のチップが増える。
段々とリバイする者が少なくなり、人数が絞られてくる。
残り10人となったところで休憩に入る。

もう200$払い、優勝を狙う為アドオン(追加)する。
いよいよ残り10人での、リバイ無しのファイナルテーブルでのラウンドが始まる。
ハンドは普通になるが、前半の貯金がものを言い、依然としてチップリーダーを続ける。

隣の陽気なフィリピン人が、途中で何度もショートスタックに成りながら、土壇場で驚異的なミラクルを見せ、踏み留まる。
残り4人となったところで、粘っこい打ち方を続けていた香港人の若者のKKのオールインを、隣のフィリピン人がQTのスーツ(同じダイヤ)で受け、どうかなと思ったがダイヤのフラッシュが完成し粉砕する。
大幅にチップを減らし、やけくそになった若者のK4のオールインを、こんどはこっちがA7で受け、エースが当たり若者にとどめを差す。

次に白人がオールインを宣言する。
フィリピン人がフォールドする。
『お前さんに任せたよ』
と目で合図を送られる。

ハンドはJJ(ジャックのペア)
十分に強い手だ。
オールインを受ける。
双方、ハンドをオープンする。
白人の手は最強のAA(エースのペア)
『しまった!』と思う。

フロップ(共通カード3枚)が開かれる。
バラバラ。
タ-ン(4枚目)
関係なし。
リバー(最終の5枚目)
ジャックが落ちる。
3カードとなり、白人のAAを破る。
白人が天を仰ぐ。

『良し! 白人野朗のAAのオールインをJJで破った。 有難う、リバーのJよ。残るは気の良いフィリピン人ただ一人……、目指せ優勝!』

中座し、トイレで顔を洗い、ヘッズアップに備えて気合を入れ直す。

テーブルに戻り、『さあ、勝負再開!』と思った時、対戦相手のマカオで働いているというフィリピン人から、思わぬオファーを受けた。

「ミスター、一つお願いが有ります。私には時間がありません(時計を見ながら……)。今数えてみたのですが、貴方と私の現在のチップ量はほぼ同じです。若干私の方が多いかな? そこで、もし良ければ現状でチョップで手仕舞いしては貰えないでしょうか? そうしてくれれば大変有りがたいのですが……」

一瞬考えた。

『チョップか……、まぁ“情けは人の為ならず”と言うし、このフィリピン人はさっきから気持ちの良いプレイをしていたしなぁ……、その前には粘っこい香港人の若者を粉砕してくれたこともあったし、ここは無理にプレイして2位で終るより、チョップでも何でも優勝して、ついでに人助けしておくか?』

そう考え、申し出を受けることにする。
大喜びのフィリピン人から握手を求められる。
カジノのスタッフにパスポートを預けると、数分後には賞金の3,890香港ドルがキャッシュで手渡された。

本職?のバカラやBJではこの何十倍もの札束を、数え切れない回数手にしたものだが、ポーカーでのトーナメントの初賞金は額に関係なく、何とも言えず嬉しかった。

眼下にうごめくギャンブラー達を眺め、勝利の余韻をかみ締めながら、駆け出しポーカープレイヤー “マカティ” はアジア最大を謳い文句としているグランドリスボア(新葡京)のポーカールームをあとにした。

午後9時より、グランドリスボアの中の麺の専門店でリゾカジ軍団のプチ忘年会が開かれる。
リゾカジのアドバイザーで作家の森巣氏もお目見え。
さすがに存在感が有る。

バカラ組の景気の良い話を聞きながら、ひたすら飲み食いに励む。
話は弾むが、皆カジノの虫が騒ぎ出し10時過ぎにお開きとなる。

珠海を常宿としている庶民派ギャンブラーの“くるくる”さんとエスカレーターで一緒になる。
今からボーダーを越え、中国(珠海)に行く(戻る?)という“くるくる”さんの話を聞く内に、今までマカオに約200回も来ていながら、一度も隣の珠海に行った事が無いことを思い出し、興味が沸いてくる。
門限(マカオ-珠海間のゲートの開いている時間)が12時だと聞かされ、一緒に行く決心をする。

無料バスでボーダーに行き、並び、入境証に記入し、中国本土に入る。
当方の記憶にある中国本土は、香港・マカオと比べると寂れた汚い街という印象しかなかったが、珠海は10年前の香港といったイメージで、活気に溢れていた。

ただ、幼い子供を連れた若い母親が、何事かを繰り返し口にしながら纏わり付いてくる。

「相手にしない方が良いですよ」

と“くるくる”さんに言われるが、なまじ言葉が少し解るだけに無視出来ない。

『社長さん、この子に何か暖かいものを食べさせてやりたいので、少しで良いからお金を恵んで下さい、お願いします……、と言っているようだが、どうしたものかな? 手持ちは高額紙幣ばかりだし、人民元は無い。コインじゃ少なすぎるだろうし……、そうだ、10パタカの札が1枚あったっけ……』
ヨレヨレの10パタカ札を黙って差し出すと、「謝謝、謝謝」と頭を下げながら母子は去っていった。

タクシ-に乗り込み、“くるくる”さんの泊まっている‘嘉麗万豪酒店’に向かう。
話の通り、300人民元にしては部屋も広く、モダンな内装で、薄型大画面テレビと広いバスタブと独立したシャワ-ル-ムが設置されており、香港マカオの4星クラスのホテルと比べてもまったく遜色なかった。(値段的には半額以下)
室内で缶ビールを飲みながらカジノ談義をしていると、またもや眠気が襲ってくる。
明日の午前中に中国医学に基づく専門マッサージ店に行って見る計画を立て、クリスマス・イブの夜に大阪ミナミのスイスホテルに泊って以来のちゃんとしたベッドの上で、眠りに付く。


■ 1999年12月28日(香港国際空港)

「それじゃあ、僕はこれから大晦日までまたマカオに行くけど、○○ちゃんは乗り継ぎ便で一足お先に関空だったね。後は飛行機に乗るだけだから大丈夫だね」

「ハイ! お土産も沢山頂いて有難うございました。それと、ちゃんと最後まで“約束“を守って下さって、本当に感謝しています。日本に戻ったら最後のマカオの結果、連絡下さいね。 ……1日体験入店の日に、帝王さんと知り合うことが出来て良かったです。今まで黙っていたけど、帝王さんは中学の時に憧れていた理科の先生にソックリなんですよ♪ ……それじゃ、少し早いけど、良いお年を!」 そう言ったあと、海外にいるという解放感からか、突然右の頬っぺたに軽いキスを残し、世紀末の10日間を一緒に過ごした二十歳の女子大生は視界から消えていった……

セントラル行きの列車に乗り、勝手知ったるマカオフェリー・ターミナルに到着する。
今年8回目の、そして現千年紀(ミレニアム)最後のマカオ遠征だ。

『テニス部のキャプテンの先輩!? じゃなくて理科の先生か……、まぁそれもいいさ。パースでは最後にケチが付いたが、それでも結果はプラスだ。手持ちの軍資金は約30万ドル! 予備としてオーストラリア$も約6千ある。まだいける! まだ……』

マカオフェリーに乗った途端、睡魔に襲われ意識が無くなる。
一時間後、フェリーのクルーに起こされる。

再びマカオに戻ってきた……

■ 2009年12月28日

中国、珠海の‘嘉麗万豪酒店’のデラックスルームで目を覚ます。

“くるくる”さんとボーダー近くまで朝の散歩をした後に飲茶を食べる。
二人で朝からビールを飲んで約百元。
この値段では十分納得である。
その後、すぐ隣にある中国医学に基づく専門マッサージ店に行く。

ここは明朗会計で1分1元、2時間コースだと120分で120元ピッタリ。
消費税もサービス料もチップも無し。
香港・マカオだと1小時といっても、実質45分で百ドル前後のところが多いことを考えると、約半額だ。
専門教育を受けているというだけあって、マッサージは本格的であった。
途中で、耳掃除専門の人が現れ、しきりに勧めるのでついでに受けるとプラス30元で耳の奥がサッパリした。(さすがにこの道のプロだけあって上手であった)

その後はショッピング。

ここ珠海では、何故かヴィトン、グッチ、シャネル等の一流のブランド品?が、ショピングセンターの中の店舗で堂々と、通常市価の十分の一以下で売っている。
しかも、冷やかしで買うそぶりを見せると、最初の言い値がどんどん下がってくる。

適当にガラクタを幾つか購入し、ショッピング終了。

“くるくる”さんとボーダーを越え、再びマカオに戻る。

ここで携帯が鳴る。

JALのマイレージのキャンセル待ちがやっととれた為、本日香港入りしてきた旧友からであった。

5時にリスボアホテルのロビーで待ち合わせする。

“くるくる”さんを旧友に紹介した後、夕食を3人で食べることにして一旦“くるくる”さんと別れる。

旧友とリスボア横のローカル旅行社に行き、今日から3泊のホテルを予約しに行く。
平日だと言うのに、マカオは景気が良いのか、どこもかしこも一杯だった。
ようやく空いていた4星級ホテルの皇家金保酒店(Casa Real Hotel)を3泊2,700ドルで予約する。
ここは可も無し不可も無し、といった感じのホテルで、部屋的には珠海の‘嘉麗万豪酒店’のデラックスルームの方がやや上かな? といった印象であった。
(値段は3倍近いのに……)

リスボアホテル内のリゾカジの拠点である“皇牌天下(エリートルーム)”(どこがエリート何だか……)で“くるくる”さんと再会し、只管バカラに打ち興じるリゾカジメンバーを尻目に夕食に出かける。

タクシーに乗り、丘の上にあるロイヤルホテルの傍にあるタイ料理店に向かう。

定番のトムヤムクンと、牛肉のミンチ炒めと、蝦フライの甘酢ずけと、鶏肉のちまき?を頼む。
3人ともビーラーなのでビールが進む。

ちょっとビールを頼み過ぎた為、3人で約400ドルとなり、一食百ドルという自己ルールを少しばかりオーバーしてしまうが、美味しかったので良しとする。

タクシーでグランドリスボアに行き、旧友はブラックジャック、“くるくる”さんはバカラ、当方はポーカーと、それぞれ健闘を祈りながら分かれる。

しかし昨夜のツキは何処へ行ったのか、ハンドに恵まれず、読みも冴えず、バイインした3千ドルをあっさりと溶かす。
旧友の方もブラックジャックの調子がイマイチだそうで、ホテルに引き返すことにする。

『ビールを飲みすぎたかな……』

部屋に入るなり、どっと疲れを感じる。

『今日はたったの3時間、それもポーカーしかカジノでプレイしなかったな。それなのにこの有様だ。10年前にはこんなことは無かったのに、寄る年波には勝てないという訳か……』クリスマスにマカオ入りして4日目、始めてマカオのホテルのベッドの上で眠りに付く。


■ 1999年12月29日(マカオ)

『駄目だ、パースの後半と同じで、プレイヤーの連勝はあるのに、何故かバンカーが連勝しない……。確率的にはその反対になる筈なのに、どうしてこうなる?』

マカオに着くなり、回力娯楽場でいきなり5万ドル負ける。
マンダリン・オリエンタルの平場でなんとか取り戻すが、リスボアで6万ドル負け、気分転換で入った金域酒店で1万ドルだけ勝つが、食事後、橋を渡って向かった新世紀酒店でまったく良いところなく7万ドル負ける。
隣のハイアットでは2万ドル勝ったが、そこで止まる。

『ここまででちょうど10万ドルの負けか……、いつもならそろそろ何処かで“スィッチ”が入り、一気に挽回するのだが、今回はその兆しが無い。』

今月20日に中国に返還(回帰)されたことを祝う垂れ幕やイルミネーションが煌く世紀末のマカオの街中を一人彷徨う。

再び橋を渡り、タイパ島からマカオのランドマークであるリスボアホテルに戻る。

リスボアホテル内の、いついってもガラガラの日本料理店(ふるさと)に行き、一人スキ焼きとビールを頼む。(しめて330ドル。日本食の場合は“100ドルルール”の適用除外)

会計をパタカで支払い、3%(約10ドル)出費を節約する。

『カジノで10万ドルも負けているのに、ここで10ドル節約しても……』との考えがよぎったが、あくまでスタイルを貫くことにする。

タバコの吸える2階をブラブラしていると、マカオ人のジャンケット屋の“ジャクソン”にばったり出会う。

「オォ-、ミスター○○! オゲンキデスカ? マカオはいつまで? 調子は?」
矢継ぎ早に質問攻めに合う。

「昨日の晩からだよ。調子は全然だ……」

「そう、ディナーはもう食べた? もしまだなら一緒にどうだい?」

「さっき食べたところだよ」

「了解だよ。それじゃ、僕の契約している“ラッキールーム”でゲームしよう。きっと勝てるよ! 絶対だよ。僕を信じてよ!」

『何が“ラッキールーム”だ。今までその口車に乗って、何度一般フロアでの勝ちを溶かしたことか……。けど待てよ、何回かは勝たせて貰ったこともあったっけ。ここまで自分一人でやって負けているのだから、ここは一つ口車に乗って見るか?』

「OK、ジャクソン。君の言う“ラッキールーム”とやらに行ってみよう。それと、今日と明日の二晩、このリスボアの部屋を用意してくれ。一人だからキングサイズのベッドルームを頼む。あと香港までのフェリーチケットを1枚、以上」

「オォ-、相変わらずシビアだねぇ……、でも僕は“老朋友”だから“無問題”だよ。 あと、僕のアドバイスでユーが勝ったら、一緒にサウナに行く、OK?」

「分かった、分かった。サウナでも何でも連れてってやるから、勝たせてくれよな」

リスボアホテルの5階にある、VIP専用ルームにジャクソンと一緒に入る。
そこではジャクソンの子分の若い衆が二人、罫線を記録しつつ席を確保していた。

部屋に入ると同時に二人がさっと席を立つ。

普通のバカラ客だと罫線は重要な訳だが、当方のように全勝負バンカーに賭ける者にとっては殆ど意味が無い。とは言え、折角だから一応貰い受ける。

「アァー、まず最初に“ラッキーチップ”と両替をするね」
ともじもじしながらジャクソンが口を開く。

「そうだったな。じゃ、取り敢えず5万ドル分、交換してくれ」 と告げ、手持ちの千ドル札の中から中国銀行発券分を50枚選んで渡す。

当方の手提げカバンの中の千ドル札の束を横目でしっかりと確認し、『もしかしたら、この“老朋友”の懐具合は寒いのかも?』との不安が取り敢えず拭い去られたからか、急にジャクソンは陽気になり、さっき頼んだホテルの部屋とフェリーチケットの手配を子分に指示し始めた。(

全勝負バンカーに張って、あっと言う間に10万ドル負けたことから、ジャクソンの“プロ”としての長年のキャリアに期待して、言う通りにベットするも、勝率は今一つ。
5万ドルが一回転で4万ドルに減り、全て“ラッキーチップ”に再度交換して勝負を続行するが、3万ドル弱に減る。
途中、何とか踏み止まるも、挽回するまでには至らず、ぐるぐるとローリングするだけで、結局最初に両替した5万ドルは綺麗サッパリ無くなった。

全勝負が終了してから集計してみると、ここではバンカーの方がプレイヤ-に対し、いつもの通り勝ち越していた。
何も考えずに全勝負バンカーにフラットベットしていれば勝てたシューであった。

ジャクソンが済まなさそうにホテルの予約証とフェリーチケットを差し出す。

『ざっと10回転はしたから、ジャクソンのコミッションが1%としたら、一晩で約5千ドルの儲けか……、2泊の部屋代+フェリーチケット代は十分カバーした訳だ。サウナご招待が無くなったのは残念だろうが……』

「アァー、今回は残念だったね。ところでもう朝になったね。何か食べよう。地下のレストランで良いかな? 勿論ここは僕がおごるよ」
この辺が計算なのかも知れないが、同じ歳のジャンケット屋の何とも憎めないところだった。

ジャクソンと二人、地下でワンタン麺を食べる。

一泊2万5千ドルについた、ジャクソンの用意してくれたリスボアホテル内の部屋にチェックインする。
精魂疲れ果て、服を着たまま眠る。

■ 2009年12月29日

皇家金保酒店(Casa Real Hotel)のツインルームで目を覚ます。

風邪を引いたようで、体調が悪い。

BJ派の旧友が、「兎に角一緒に一勝負しよう、けれどもミニマムが高いところは敷居が高い……」とのことで、どこで勝負するか思案の末、ミニマム50ドルからプレイが可能なポンテ16に行くことに決定する。

ミニマム50ドルの台では、ここ何年もプレイしたことが無かったが、何故か調子が良い。
旧友も快調にチップを増やす。

小一時間で、共に約2千ドル勝つ。
仲間と共にディーラーを倒して勝つ喜びを久しぶりに味わう。

遊びで小玉を張るとバカラでも千ドル勝つ。
金額ではなく、純粋に勝つことが嬉しい。

初めてマカオのカジノでプレイした20年前に感じた“楽しさ”を感じる。

少しでも勝っているうちに、良い気分で食事をしよう! との発案で一旦終了し、グランドリスボア近くの火鍋専門店「徳興」で中国式火鍋を注文する。
辛いスープと、それ程辛くないスープの2種類に、適当にチョイスした具材をほり込み、ビールをじゃんじゃん頼む。

後ろのテーブルに日本人のオヤジと、台湾人?のお姉さんのカップルが、どうでも良いことを、あーだこーだと大きな声で喋るのが五月蝿かったが、取り敢えず満腹になる。

その後、グランドリスボアで軽くポーカーをするが、バイインした2千ドルをあっさり溶かして終了。
(その間、旧友は“無料ポーカー練習台”で、英語でテキサス・ホールデムのルールについてレクチャーを受ける)

その後、旧友とグランドリスボアのステージ前にあるバーでまた飲む。

風邪気味&疲労&睡魔に襲われ、ホテルに戻り、無理せず早めに眠りにつく。


■ 1999年12月30日(マカオ)

眠りに付いたのが朝だった為、昼過ぎに目を覚ます。

何故か再び橋を渡り、タイパ島の新世紀酒店に向かう。

まるでビデオテープでも見ているように、まったく良いところが無く、あっさりと致命的な8万ドルを負ける。

こんなことは有り得ない筈だが、被害妄想にかられ、以下のようなことを夢想する。

【天井裏にあるカジノの管理センター】

「ボス! 例の日本人が姿を現しました!」
「よーし、この日の為に用意した例の“ブツ”をお見舞いしてやれ!」
「了解しました。プレイヤ-の勝率が60%にセットされた、コードネーム“バンカー地獄”を次のシューから例の日本人がプレイするテーブルに送ります」
「それにしても、よくこの年末に来てくれたものだ。ここまで奴にはやられっぱなしだったからな……、今年の貸しを一気に回収し帳尻を合わすぞ!」

                     (妄想終了)


『こんなことなら、まだジャクソンの“ラッキールーム”でプレイする方がマシだったな。残りは香港ドルが7万とオーストラリア・ドルが約6千か。このままだと寒い正月を迎えることになりそうだ……』

リスボアに戻り、眠りに付く。


■ 2009年12月30日

同じく皇家金保酒店(Casa Real Hotel)のツインルームで目を覚ます。

飲み過ぎたからか、頭が痛い。

朝昼兼用で12時に旧友とポンテ16の6階のレストランにセミ・ビュッフェを食べに行く。

ここはオードブルに寿司も有り、マカオで醤油味が恋しくなった際にも満足させてくれるし、メインも量は少な目だが、ちゃんとした肉料理が出てくるし、デザートには何と今若い女性に大人気の“マカロン”まで付いてくる。

気休めに日本から持ち込んだサプリの“マカ(古代アンデスの秘宝パワー)”を食後に飲む。

『マカオの帝王が、マカオで、サプリメントとして “マカ” を、デザートとして “マカロン” を食べるか……』

食後は再びポンテ16でブラックジャック。

共闘も順調で、友人はトータルプラスに転じたところで、きっちり予定終了。

いつもながら、感心する。

当方も約1万ドル近く勝つが、一旦終了し、マカオでの最後の夕食を食べる為、再びロイヤルホテル裏手のローカルタイ料理店に行く。

店内は、いつも以上に地元民で賑わっていた。

その後友人と別れ、リゾカジメンバーに別れの挨拶をするのと、最後の戦いをする為、一人リスボアホテルに向かう。

時計の針が12時を回る。

手持ちの香港ドルは約2万、オールイン2回で良し。

頭の中でイメージする。

【オールイン1回目】

(プレイヤー側のベットオーナーは3万ドル。そこにいきなり座り、バンカーに2万ドルをオールインする。
バンカーは5。
余り強くは無い。
けど、プレイヤーは恐らく “アー○引越しセンター” つまりゼロ、1、,2、3のいずれかから、そのまま絵札を引き、5条件でバンカーの勝利)

『○○ご無用、ゼロ、1、2、3。 か……、ここまでは“無問題”だ!』

しかし、次のイメージが良くない。

リスボアの平場で、一勝負でプレイヤーに4万ドル以上ベットしている客は殆どいない。

【オールイン2回目】

(プレイヤー側のベットオーナーは精々1万ドル。そこで、バンカーに4万ドルをオールインするが、プレイヤー側のベットオーナーの若造にいきなりナチュラル9を出され、ジ・エンド)

悪い予感は良く当たる。
良い予感は余り当たらないが、何故か悪い予感は本当に良く当たる。

『10年前の大晦日も、酷かったな。あの日、唯一のオアシスだった“東方娯楽場(マンダリン・オリエンタル)”の平場も、今はもう無い。 どうする? オールイン1回は勝てる気がするが、2回目はまったく自信が無い。ならば1回勝った時点で、所謂一つの “半ちぎり” で打ち止めにするか? しかし、それでは “帝王” の名が泣くというものだ。どうしたものか……』

リスボアの平場のバカラ台を彷徨う。

罫線は見ない。

見るのはプレイヤー側のベットの総和のみ。

ようやくプレイヤーに数万ドルベットしている客のいるテーブルを発見する。

席に座り、バンカーに2万ドルをオールインする。

プレイヤーは絵札+3。

バンカーは絵札+足。

横にする。

『3ピンか4ピン!』と祈るが、予感通り2ピンの5。

けれどもプレイヤーの3枚目は“ゴン(絵札)”。

広東語で悪態をつきながら、プレイヤー側のベットオーナーが席を立ち消える。

誰もいなくなった。

ディーラーが欠伸をしながら、こっちを見る。

2009年の、マカオの大晦日の夜は更けていった。

■ 1999年12月31日(大晦日:マカオ)

午前4時にリスボアホテルで目覚める。

熱いシャワーを浴びて、気合を入れる。

今回、初日に唯一相性が良かったマンダリン・オリエンタルの平場に向かう。
結構、客がいる。

バンカーに5千ドルずつベットする。
勝つ。
順調にチップが増える。
が、所詮は平場、ビッグベットをする気には成れない。
行って来いの展開になり、朝を迎える。
結局、4万ドルちょうどの勝ちでマンダリン・オリエンタルを後に一旦リスボアに戻る。

『今回、ここだけなら9万ドルのプラスだったな……、リスボアの11万ドル負けは仕方が無い。新世紀酒店での15万ドル負けが痛い……』

取り敢えずチェックアウトする。

フェリーに乗るまで後2時間、最終決戦の場はフェリー乗り場に近い回力娯楽場と決めていた。

荷物をクロークに預け、11万ドルでスタート。
バンカーに1万ドルずつベットする。
負ける。
ズルズルとチップが減る。
残りの1万ドルチップが3枚となる。
フェリーの時間が迫る。

どんなに負けている時でも、最後の勝負は勝ちで終わりたい! との思いから、勝負を続行する。

プレイヤーが優勢な中、一人バンカーにベットを続ける。
プレイヤー6、バンカー1。

バンカーの3枚目は2サイド。
苦しい展開だったが、何とか5で6対6の引き分けに持ち込む。

死んだものと思い、2万ドルをバンカーにベットする。

プレイヤーは7、バンカーは絵札+3サイド。
一つ抜ける。
勝ちが無い、同じく苦しい局面だったが、何とかこれも7対7の引き分けに持ち込む。

タイムリミットはすでに過ぎていた。

えーい! と財布から残りの香港ドルの札を取り出し、バンカーに31,800ドルをオールインする。

プレイヤーは8、バンカーは絵札+4サイド。

ゆっくりと絞る。
ど真ん中に徴が見えた。
溜息が漏れる。
ナチュラル9で、回力、いやマカオに何とか一矢を報いた。

女性ディーラーが何度もチップを確認しながらもたもたと作業する。
「ファイティー!(早くしろ!)」と女性ディーラーを急かす。
62,010ドルをキャッシャーで交換するやいなやクロークに向かい、スーツケースを受け取るとフェリー乗り場に向かい走る。

予定より30分遅いフェリーに乗ることになったが、ギリギリで間に合う筈であった。

香港に到着する。

税関に並ぶ人が普段より多い。
ようやく順番が回ってくる。

スタンプで一杯になったパスポートを見て、新人らしい女性係官が目を顰める。

「ミスター、パスポートに余白が有りません。これではスタンプが押せないので、入境を認める訳には行きません」

「そんな馬鹿な! 増刷した予備のページがあるだろう! そこにさっさと押してくれ。急いでいるんだ!」

「ちょっと待って。上司に確認してくるので……」

パスポートを持って女性係官は奥へ消えた。
貴重な時間が刻一刻と過ぎて行く。

10分後、「OK」と涼しい顔で、カエル顔の女性係官からパスポートを戻される。

無言で受け取り、足早に飛行場行きの列車の駅に向かう。

空港に着くと、小走りでキャセイのカウンターに向かう。
女性の地上職員にエアチケットを示すが、呆れた顔でこう呟く。
「オゥー、ミスター○○。残念ですがタイムオーバーです。もう搭乗手続き可能な時間は過ぎています。規則により、あなたはこのフライトに搭乗することは出来ません」

「それは困る! チケットを買い直せと言うのなら、カネは払うから、何とか日本行きのフライトに乗せてくれ!」
「うーん、本日の当社の日本行きのフライトは全て終了です。他社便も経由便もありません」

最終日にマカオでの滞在時間をMAXにする為、一番遅い便を選んだことを思い出した。

「分かりました。それでは明日の朝イチのフライトの予約をお願いします」
「ノーノー! 明日は“Y2000問題”の為、全てのフライトはストップです。これは他社も同じです。 2日も大幅に減便されているので、予約で一杯です。通常運航に戻るのは3日からですね」

「3日だって! それじゃ意味が無い。もういい!」

キャセイのカウンターを離れ、JAL、ANAのカウンターを回るがいずこも同じ回答。

乗る筈であったキャセイの関空行き最終便の出発時刻が訪れる。
空港の硬い椅子に座り、頭の整理をする。

『もう日本には来年の3日まで帰れないことは決定的だ。つまり、正月3が日の、西暦2000年問題に対する“電話番”は出来ないという訳だ。2000年問題のせいで、その“電話番”が出来ないとは皮肉なものだ。それにしても、あの香港の税関の新人女性係官がもう少しスムーズに処理してくれていたら……』

香港ドルのコインを取り出し、国際電話が出来る電話機に投入し、気が進まなかったが日本の上司の家に電話する。

幸い留守であった。

留守録に、体調不良により正月3が日の“電話番”を休むことを告げる。

日本を出る前の日の帰り際に、上司に呼び止められた時の会話を思い出す。

「あー、少し早いが君の場合は今年は今日が最後だったな。それで、一言だけ言わせてくれ。君については私生活の乱れやギャンブル癖、会議中の居眠り等、批判する声も多い。けど、君はどう思っているかは知らないが、僕は君のことを買っているつもりなんだよ。君の鋭い観察力や、透徹な思考力、ユニークな発想力、それに文章力や語学力、知能テストのスコアでも、社内のトップクラスだ。仕事の面でも不慣れな筈の国内営業で、ちゃんと実績は上げている。だから冬のボーナスでもプラスの査定をしたんだよ。もっとも聞くところに寄れば海外のカジノで何百万と儲けているそうだから、君にとっては数万円の差などどうでも良いことなのかも知れないがね……。あと周囲の反対を押し切り、新規事業のプロジェクトリーダーにも推薦しているところだ。だから、いいかな? 君の申請したこの年末の長期有給休暇は問題視されていたんだが、君の提案した正月3が日の“電話番”を率先して引き受ける、ということでようやく周囲を収めた次第な訳だ。長くなったけど、ようするに、この“約束”だけは守ってくれ。もしこれを破るようなら、来年君の席は無いものと思っていてくれ、以上だ」

上司の顔がだんだんと霞んできた。

それと同時に、別の考えがはっきりと頭の中で形になってきた。

『これで丸々3日間、時間が出来た。手持ちの香港ドル約6万+約6千オーストラリア$、それと若干の日本円を合わせれば、約10万香港ドル有る。軍資金としては十分だ。まだだ、まだ終わらんよ…! 時計の針は元には戻らない。だが、自らの手で進めることは出来る。よーし、この手で進めてやろうじゃないか!』

新たな決意を胸に、“マカオの帝王”は再びマカオフェリーターミナルへと向かった。

            帝王余話(Invictus:1999~) 【完】


このReportへのコメント(全 8件)

2010/01/22(Fri) 10:45

カジ郎

マカオの帝王さん

リニュアル後のレポート投稿第1号です。
ありがとうございました。


2010/01/23(Sat) 05:02

クラシコ

もはや一つの読み物としてはまってしまいました。
素晴らしいです。

ですがどうしてもその後電話番は、会社での扱いはどうなったのかが
気になって気になって仕方無いのですが。。。。。


2010/01/24(Sun) 23:41

マカオの帝王

>カジ郎さん こんばんは!

リニューアル後の先陣を切ることが出来て光栄です。

長文、お世話になりました。


2010/01/24(Sun) 23:51

マカオの帝王

>クラシコさん 始めまして。

10年の間には色々有りましたが、“Invictus(負けざる者たち)”の精神で、今でも年に数回はマカオのカジノを愉しんでいます。


2010/02/23(Tue) 03:15

bjking

初めまして。普段は、BJしかしませんが、ここ3回ほどマカオで、バカラをやりました。
そこで、質問ですが、罫線を見ず、プレイヤーの掛け金の総和が多いときに、バンカーにビッグベットする根拠を教えてもらえませんか。常に、バンカー賭けは、良く分かりますが。
今後の参考にさせてください。
本職のBJの調子がイマイチのばくち打ちより。


2010/02/25(Thu) 00:54

マカオの帝王

>bjkingさん 始めまして。

パスカル著の『パンセ』の中に、次のような言葉があります。

「神は存在するか、しないか。きみはどちらに賭ける?
いや、どちらかを選べということがまちがっている。正しいのは賭けないことだ。そう。だが、賭けなければならない。君は船に乗り込んでいるのだから。」
 すでにこの世に生きている以上、この勝負を降りることはできない。
賭けないということ自体が、結果的に一つの選択となるからだ。 賭け金は自分の人生である。
 神が存在するという方に賭けたとしよう。勝てば君は永遠の生命と無限に続く喜びを得ることになる。
しかも、君の人生は意味あるものとなるだろう。賭けに負けたとしても、失うのものは何もない。
 反対に、神は存在しないという方に賭けたとしよう。
その場合、たとえ賭けに勝っても、君の儲けは現世の幸福だけである。
死後は虚無とみなすわけだから、そこで得るものは何もない。逆に負けたとき、損失はあまりに大きい。
来世の幸福をすべて失うことになるからである。

ここで、“神”=“カジノのイカサマ”と置き換えて考えて見ましょう。

もし、バカラにおいて“カジノのイカサマ”があるとすれば、プレイヤーの掛け金の総和が多いときに、それを上回らない額をバンカーにベットすればカジノがイカサマで勝たせてくれる=天国へ連れて行ってくれる訳です。

逆に、“神”=“カジノのイカサマ”が無いとしましょう。
その場合でも、バンカーの勝率に変化は生じません。

つまり、“神”=“カジノのイカサマ”が存在する確率が僅かでも有る以上、プレイヤーの掛け金の総和を上回ってはいけないことなります。

オカルトですが、過去20年間、延べ約200回のマカオ遠征でトータルプラスで生き残っていることで、一つの証明になっているのでは? と思います。


2010/02/26(Fri) 01:49

bjking

素晴らしいです。長文ありがとうございました。
まさしく、私と同じです。
博打で、長く生き残る。つまりトータルでプラスすること。
生涯収支が、100円でも200円でも博打で、勝ったということが、重要で、そのための戦略や考え方が、また素晴らしいとおもいます。
カジノは、所詮businessでしょう。当然、その営業戦略として、イカサマとは言いたくないのですが、何かやって当たり前だとおもいます。
マカオに1年で、3回行きBJ主体で、やりましたが、どこも、たぶんですが、絵札、aceとsmall cardを数枚入れ替えてるとおもいます。
CSM(continuous shuffling machine)は、ISM(ikasama shuffling machine)と同義語と考えました。
マカオで長期戦で勝つには、バカラしかないとおもいます。
帝王さんと一度お逢いして、帝王式BJの意味を、じかにお聞きしたかったのですが、
今後は、改装も終わり、イカサマがないとの情報が確認できたソウルCOEXに戻ります。もし、COEXにいらっしゃる予定がございましたら、ぜひお話させてください。



2010/03/14(Sun) 22:01

okataka

内容も文章も凄過ぎます!感動しました!
いつかマカオでお会いして直接お話を聞かせていただきたい・・・・


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