リゾカジ カジノレポート

澳門に想いを馳せながら。

* マカオ 2020/ 10/ 05 Written by akasakaten

コメント( 2)

思いおこせば、最初にマカオの地を踏んだのは、1995年頃。
それまで、英語の成績がほんとにダメで、そのことが強いコンプレックスになっていたのだと思うけれど、
外国には行く気が起きなかった。
(今でも英語ができないのはご愛敬。)
ところが、当時付き合っていた彼女とひょんなことから海外旅行をしよう、ということになり
選んだ行先は香港。

特に意味はないんだけれど、
彼女は買い物に興味があるだろうし、
僕は中華料理が好きだし、
ジャッキーチェンが好きだし、
隣にはマカオがあるし、
ってことぐらいが決め手になったんだと思う。

結局、マカオの地を踏んだのは一人だけ。
彼女とは香港で待ち合わせにして一人でマカオに向かったのです。
もう、この辺がほんとダメ。
どれくらいダメかって、悪い流れのままチップが減り、起死回生でオールインするくらいダメだと思う。

英語はもちろん、広東語も知らなくて、
尖沙咀から乗ったフェリーでは、乗員の女性と片言の英語と筆談でコミュニケーションを取ったのは今でも思い出します。
その時のフェリーは、室内冷房ガンガンじゃなくて、甲板に屋根と椅子がある感じでしたね。

マカオに降り立つと、何にもない。
ほんとに何にもなかったと思う。
るるぶだったか、何だったか、当時のガイドブックを見ると一本道を行けば、リスボアがあるって書いてある。
左はすぐ海で、道は土埃の舞う一直線の道。突然現れたカボチャのような建物。
きらびやかな建物を恐る恐るくぐると、中は立ち上る煙草の煙と行きかう怒号の喧騒。

道だけで他には何もない。
突如現れた建物。
その建物のきらびやかさと混沌とした内部のギャップに、なぜか僕の胸はなにかにギュッと掴まれてしまったのです。

訳も分からず、バカラ台に参加し、
訳も分からず、勝ち負けを繰り返し、
気が付けば種がなくなり、
気が付けば香港に戻っていました。
min50ドルだったと思います。

あっという間の時間。
雲をつかむような時間。
そして何故か長く感じた瞬間。

種はもともと200香港ドル。ほとんど入場料みたいなもの。
それでも、その時感じた高揚感は不思議な感覚でした。

月日は流れ。

フィリピンのアンヘルスでブラックジャックをプレイした後、
リゾカジに出会い、
セブンラックオフ会に初めて参加し、
本サイトに訪れるのが楽しみな日々が始まったのです。

リーマンショックという言葉もまだない2006年頃、
気が付けば、たびたびマカオの地を踏むことになっていました。

最初の頃は、シントラやリスボアが常宿でした。
当時シントラは450ドル位だったかな。
それから、ホテル代の高騰も後押しして、常宿がジュハイになるのはそんなに時間がかかりませんでした。
往年のホテル代が基準となってしまって、マカオのホテル代が高く感じてしまったのです。

その頃から、私のカジノ(以外)ライフは、
マカオ開拓からジュハイ開拓へと移ります。
当時は、チャーミーインがランドマークとなっており、ゴン地下は喧騒とした賑わいで包まれていました。

啓徳空港から新空港へ
エアポートエクスプレスからA11のバスへ
そしてフェリーから高速道路バスへ

マカオ-ジュハイも
3,4時間もかかってたイミグレも1時間程度になり、
(政府高官用の24時間ルートが使えるとかの都市伝説もありました。)
ポンポン船を利用したり(廃線となっていましたが最近復活したそうですね。未搭乗です。)
横琴ルートを使っていた頃の記憶も思い返すこの頃です。


僕は、よくテンコシャンコな人生を楽しんでいるのですが、
マカオに行ってから、
谷岡一郎「ギャンブルフィーバー」
沢木耕太郎 著「深夜急行
に出会います。

ブラックジャックをプレイするようになってから「マカオの帝王」さんに出会います。
(あっ、出会ってませんけど。笑。)

そして、ジュハイを開拓するようになってから「くるくる」さんに出会います。
(あっ、これまた出会ってませんけど。笑。)

ほんと順序が逆だったら、
もっと効率よく、
もっと段取りが良かったんじゃないかと思いますが、
多分、楽しみは半減だな、と言い聞かせながら。

マカオ市内が好きで、
リスボア、ウィン、MGM、サンズ、ランカイフォン、ポンテ・・・。
ブラックジャックが主戦なので、このあたりのカジノによく行ってました。
コタイ地区の開発がはじまり、ゴージャスなカジノホテルがどんどん建設され、
どんどんマカオの街がきれいになり、そしてその流れになんとなくついていけず、
ジュハイもゴン地下周辺も随分整備され、新幹線が開通し、蓮花路も、屋台街も壊滅し、、、
そして少しずつ足が遠のいて行ったのです。


マカオへ行く頻度は下がったものの、完全に冷却期間を迎えたわけではなく、
定点観測として訪れてはいるのです。
定点観測する理由がそこにあると最高ですね。
なんとかマカオとフィリピンには定点観測する理由を作ることができたので嬉しいです。
そして、
カジノはない(いやあるけど何となく億劫そう)けれど、
マレーシアにも理由ができるといいなぁ、と思った矢先にコロナの流行。

このコロナで、
リゾカジも当然のことながらレポートが少なくなり、
いつも皆さんのレポートを楽しみにしていた私も、
文才もないまま重い腰を上げてアップする次第となりました。

脱線しました。


当時、ジュハイの道端で散髪してもらったときは5元でしたけど、
今年の1月は、蓮花路近くの中古携帯市場(仮名)そばの散髪は15元でした。(屋根ありの店舗の体はあります。)

皆さん、いろんな指標があると思うんですが、
僕はその町の最安値と思しき散髪屋さんで適当に散髪してもらうのを趣味にしています。
去年はフィリピンで散髪してもらったけど(125ペソだったかな)、
みんなそれなりに上手なので楽しいのです。

その町で散髪してもらうと、ほんのり現地の方の髪型になるので、
ぼったくりに会う機会も減ったり、
片言の日本語(や韓国語)で話しかけられるの減ったり、と
なんとなくいいんじゃないかと思ったりもするのです。


一人でマカオの地を踏み、リスボアを訪れた時に
胸をギュッと掴まれたあの時。

あの時から僕のカジノとの付き合いが始まったのです。
ブラックジャック 97
ルーレット 2
バカラ 1
のプレイヤーで、とてもとてもカジノ全部を知ってるわけじゃないもあり、
卒業するのはまだまだ先のこととなりそうです。

いろんな種目をやってみたいと思うし、
カジノプログラムをもっと楽しんでみたいと思うし、
そして、子供が成人したら、一緒にプレイしみたいと思うし、
道程はまだまだ長く、そしてその道程を楽しみながら歩んでいきたいのです。

カジノ(ブラックジャック)の話は、
随分前にリゾカジ内の日記?かなにかの機能に随分アップしたのだけれども、
(バックアップ取ってないのですでに消失。)
ホテルの話題、
移動最適化の話、
グルメの話、
いろいろあったなぁと、本レポートを書きながら思い起こしているところです。

カジノへ行くことができない日々。
皆さんのほんの少しの時間つぶしでにでもなれば幸いです。

澳門に想いを馳せながら。


このReportへのコメント(全 2件)

2020/10/07(Wed) 00:45

オレンプ

akasakatenさん、はじめまして。
楽しく拝見させていただきました。
早くコロナが落ち着いて、また海外カジノ行きたいですね。
私は1994年の3月に初めてマカオに行ったのですが、当時は本当に殺風景でしたよね。
オケラになり、暗い夜道をトボトボ歩いてフェリーまで戻ったことを思い出しました。


2020/10/07(Wed) 09:47

akasakaten

オレンプさん
コメ、ありがとうございます。
実は、昨年、初めてのベガスに行きました。
(戦績は残念ながら許容のマイナスです。)
訪米の際、オレンプさんのレポートを随分参考にさせていただきました。この場をお借りして感謝を!ありがとうございました。

私は、BJなのにマカオが主戦場なので、ちぐはぐな感じも致しますが、なんとか楽しんでいるところです。

そういえば、リゾカジ経由でリスボアのエリートルームを利用したことが何度かありました。あっという間にBJが対象外になりましたけれど。笑。

何度か目の時に、友人(マカオ人)が転職してエリートルームのスタッフになっていてびっくりしたのも、ずいぶん昔の思い出です。

コロナ後、機会がありましたら共闘お願いします。


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