リゾカジ カジノレポート

ラスト・クリスマス(1996)完結編【序】

* マカオ 2021/ 01/ 15 Written by マカオの帝王

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ラスト・クリスマス(1996)完結編【序】

1992年 秋
初芝電産(香港)有限公司 社長室 

「ところで中村君、来週ちょっと東京本社へ行って貰う。目的は東京本社で開催される、今後のアジア市場の展望がテーマの営業会議に、南谷総経理の代理として参加すること。急遽上海で大口の商談が入ってな、別に不参加でも良いのだが、このままだと予算が余ってしまう。このところ景気が良すぎて予算は使い放題だというのに、余らせるのももったいないのでな。それと、折角だから個別のシンポジウムで君がこの前提出してくれた、未来予測レポートを東京本社の連中に報告してくれ。確か……

① 21世紀には映像・音響を中心とする我が社が得意な家電製品の市場は次第に縮小し、現在は脇役の情報・通信製品が市場の主役に躍り出る。
② その21世紀の市場で含む日系メーカーは全般に凋落し、韓国・台湾メーカーが台頭する。
③ 中国は日本を抜いて世界第2位の経済大国になり、一人当たりのGDPは今の香港・台湾程度にまで向上するが、その市場における主役は地元の中国企業で、日系メーカーは中国本土から駆逐されてしまう。

営業の連中は皆渋い顔をして、現場を知らない新参者の机上の空論だと、君のレポートを酷評していたが、もしかすると……と思ってな、なーに、そんな未来のことは誰にも分からんが、外れたら只の笑い話、もし的中したら、君と俺は予言者として初芝の歴史に名前が残るぞ!」

「了解しました。けど、その頃には、初芝自体が韓国・台湾メーカーの子会社になっているかも知れませんよ?」

「まさか! まぁ、その頃には俺は老人ホーム、君も定年間近だ。それはそうとして、俺の帝王義塾高校の麻雀仲間で、今は帝王大学病院の内科部長をしている医者の連れがいるんだが、君の、その“眠り病”の話をすると、何百人に一人の割合で、確か……“ナルコレプシー”だったかな? そういう名前の病気が有るそうだ。何でも遺伝性らしく、白人より日本人、女性より男性に多いとかで、問診と脳波のパターンを調べるとはっきりするとか……日程には余裕を見て組んであるから、営業会議の合間に信濃町の帝王大学病院を訪ねてくれ。今のところは有効な治療法が無いそうだが、もし遺伝性の病気だということが判明すれば、診断書を書いてもらえば、君の勤務態度を揶揄する者たちへの、ある種の“免罪符”にも成るしな、ホテルは帝王プラザホテルを予約済だ。たまには東京で都会の空気を吸ってこい!」



※ 一週間後 日本 東京

『あぁ良く寝た。営業会議は時間の無駄だったな。皆さん脳天気に自画自賛、今の異常な景気が何時までも続く筈は無いのに、何故そんな簡単なことが誰も分からない? これはバカラで時々有る、意味不明の長っ面、それもバンカーじゃなく、確率的により不利な筈のプレイヤー面だ。そりゃ、PPPPPPPPPとなることも有るさ。けど、面はいつかは切れる。そしてプレイヤーの面は“条件”上の不利もあって切れやすい。ちょうど資源の無い日本経済のように……、後半の分科会も香港に関心がある若手中心で、海外販社からは去年マニラでお世話になった、初芝フィリピンの“マニラの皇帝”だけだったな……』

タクシーで信濃町の帝王大学病院に向かう。受付で紹介状を提出し、待合室で待つ。

さすがは天下の帝王大学病院、綺麗な看護婦さんが登場し、問診票を持ってくる。
「先生は回診中ですので、それまでの間、この問診票にご記入をお願いします」
と告げられ、目を通す。

『ふむふむ、当てはまる項目にチェックを入れる、と、

□ 3カ月以上にわたってほぼ毎日強い眠気がある。
□ 夜の睡眠時間が十分なのに、日中に強い眠気を感じ、急な居眠り(睡眠発作)がある。
□ その際に感じる眠気は耐えがたいほど強い。
□ 20~30分で目覚めるが、またすぐに眠気がおこる
□ 通常では考えられないシーン(大切な会議中や、恋人とのデート中)でも居眠りをする。
□ 強い感情の動きが引き金になり、全身の筋力が抜けてしまう情動脱力発作の経験がある。
□ そこに意志の力は働かないため、車の運転中や危険作業中にでもおこる。
□ 入眠時に実態感を伴う生々しい幻覚(明晰夢)を見たことがある。
□ 熟眠障害により、深い眠りが得にくく、十分な疲労回復ができない。
“情動脱力発作”以外の項目は全て○だな……』

問診票を提出すると睡魔が襲ってきたが、アナウンスの声で目が覚め、診察室に入る。

「やぁ、君が“マカオの帝王”の中村君か、話は山崎から聞いてるぞ。彼とは塾校での同級生でね。どれどれ、う-ん、殆どの項目が当て嵌まると……、ところで君の両親やご兄妹はどうかな?」

「確か母親は良く居眠りしていましたけど、子供の頃は疲れてるんだろうなぁ、と単純に思っていました。私には妹が二人おりまして、上は教師、下は裁判官で、共に成績は優秀でしたが、下らない職員会議や、どうでも良い裁判等の際に時々居眠りしてしまい、上司に厳重注意されたことがある、と申しておりました……」

「成る程、遺伝的要素も十分考えられる、と……これは1泊入院した上で、
• 脳脊髄液検査
• ポリソムノグラフィ
• 睡眠潜時反復検査
など詳細な検査が必要だな。」

「先生、そもそも何が原因なのですか?」

「うーん、覚醒を維持する作用がある物質:オレキシンの働きが、免疫の異常や遺伝により低下しているからだが、現状では有効な治療薬は無いなぁ。規則正しい生活を送り睡眠不足を避ける、夜間には十分脳を休ませる、日中15分程度の昼寝をとる、暴飲暴食は避ける、といったところかなぁ……、将来的には治療薬も開発されるだろうから、それまでは生活習慣を整えて、眠気を上手くコントロール……」

『……なんだ、天下の帝王義塾大学病院の教授だと言うから、どんな凄い診断をしてくれるのかと思えば、「貴方は“ナルコレプシー”みたいだから、取りあえず検査します。けど今のところ有効な治療法は有りません。規則正しい生活、十分な睡眠、暴飲暴食を避ける、だと、こんなことしか言えないのか?……? ……』



「中村さん、中村さん、起きて下さい!」

肩を揺すぶられ、目が覚めた。

「今、私の説明中に瞼を閉じておられたようだが、もしかして“眠りに落ち”ていませんでしたか?」

「そうかも知れません」と答える。

「中村さん、本日の検査入院はキャンセルします。もうその必要は無くなりました。私も初めて目にしましたが、貴方は間違い無く “ナルコレプシー”です。」




1992年12月18日(金) 香港 セントラル

「さぁ、今日は少し早いけど、香港在住日本人有志によるローカルグルメの会の、クリスマス&忘年会ですよ。皆さん、今年1年の憂さ晴らしに、とことん食べて飲んで下さい。それでは、乾杯!」

“ローカルグルメの会”の会長を務める、三友信託銀行香港支店の井上副総経理が乾杯の挨拶をした。

いつもより豪華、且つ洋風の料理が次々にテーブルを埋め尽くす。

『この会に参加してちょうど1年になる。最初は気が乗らなかったが、竹原さんの誘いに乗ってみて良かった。正に、“馬には乗ってみよ、人には添ってみよ”、だ。お陰で知り合いも増えたし、安くて旨い中華も色々食べることが出来た。この前食べた“乞食鶏(こじきどり)”とかいう料理も旨かったしなぁ。それに何と言っても、彼女の存在が大きい……』

と、突然後ろから背中を叩かれる。

「あっ! こんなところにいたぁ♡ もう、聞いて下さいよ、“マカオの帝王さん”、昨日仕事から家に帰ると、マンションに同居している香港人の旦那のお母さんが、ワタシが日本から持参して、大事に大事にしていた糠味噌と梅干しを全部捨てちゃったの! こんな変な味と臭いの食材は不要だといって! 旦那は母親の味方をするし、他所で暮らしていた鬱病の妹も同居するようになったし! 今のマンションに住めるようになったのは、ワタシの稼ぎのお陰なのに、家の中では中国語以外の会話禁止、その上姑&小姑揃い踏みじゃ、ストレスが溜まる一方で、もう嫌! こんな生活!」 普段は明るい酒の竹原典子だったが、この日はやけにピッチが早く、頬は早くもほんのりと(色っぽく)ピンク色に染まっていた。

「それはご愁傷様……、確か旦那さんとは、聖ソフィア大学で知りあったんだったっけ? 留学生だった香港人の旦那さんから、連日連夜の熱いプロポーズを受けて、その気になったとか……」

「それはそうなんだけどぉ、香港での新婚生活を送るのも良いかなっ? とは思ったものの、姑&小姑が同居するなんて、そんなの聞いてないよ!」と憤慨する竹原典子であった。

するとそこへこの“ローカルグルメの会”の会長兼本日の司会者であり、別の“昭和59年会(昭和59年に社会人生活を始めた、言わば同期会)”でも一緒の三友信託銀行香港支店の井上副総経理が現れた。
「これはこれは、初芝の“マカオの帝王”さん、よくお会いしますね。最近のマカオでの戦績は如何ですか? それにしてもメーカーさんは自由で良い、 “三友”の看板を背負って、人様の大切なお金を預かる銀行マンともなると、“週末はマカオでバカラ三昧”なんていう噂が出た日には、就業規則違反で懲戒処分ものですからね、ハッハッハ」

『相変わらず嫌味な野郎だ。何が銀行マンだ!大阪出身なのに東大を受けて落ち、滑り止めで入学した西北大の政経から、就職では本命の三友銀行に蹴られ、やっとこさ三友信託に滑り込んだ癖に……、』

「休日の過ごし方は人それぞれ、別に会社に迷惑をかけている訳じゃない。」そうムキになって反論すると、

「まぁまぁ、二人とも、今日は楽しいクリスマス会? 忘年会? どっちだったかなぁ? とにかく、飲みましょう♡」と竹原典子が間に入ってきた為、バトルは不発に終わった。

トイレで情報システム分野で取引の有るABM(American Business Machine)香港の現地採用の20代日本人SEと一緒になる。

「いつも思うんだけど、あの三友の井上はどうして自分に突っかかって来るんでしょうかね?」

「えっ、お分かりに成られないのですか? ふーん、“岡目八目”というか、私のような第三者からすれば、見え見えなんですがねぇ……」

「と言うと?」

「竹原さんですよ! 貴方がこの会に参加するまでは、井上さんと竹原さんで、新規の店の開拓と称して、レストラン巡りをしたり、井上さんが彼女の相談事の相手役を務めていたりしていたのですけど、それが最近では、“新参者”の貴方に段々とその役割が移行しているでしょう? 彼女はあの通りチャーミングだし、それが井上さんには面白く無いのでしょう……」

「そんなことを言われてもなぁ……、大体皆既婚者ですよ? 井上の奥さんとかいうのも、確か一度だけ会に参加していたし(少々太かったが)……」

「それだけじゃありません。あの井上さんは、他人を“ランク付け”するのが生きがいな訳です。ほら、東大卒でキャリアの香港日本領事館の領事さんにはペコペコする癖に、ローカル企業相手だと相手の年齢等関係なく、完全な“上から目線”ですからね。そこへ貴方です!」

「私?」

「そう、ABMといっても、日本じゃ地元の高専卒で、プログラムの腕を買われて香港で日系クライアント向けの現地採用社員の私なんかからしたら、お二人とも日本の一流大学を卒業し、日本を代表する大企業の本社採用のエリート駐在員さんだ。しかも香港での役職は同じ副総経理、女性の好みのタイプも同じ、とくれば井上さんが貴方のことをライバル視するのは当然でしょう」

「そんなことを言われてもなぁ……、只鬱陶しいだけで、それ以上別に何とも思って無いし……」

「そこですよ! 井上さんにしたら休日も得意先の接待、家族サービス等で、不完全燃焼の繰り返しだというのに、貴方は毎週末マカオで“完全燃焼”している訳でして、その上、唯一の心のオアシスだった竹原さんとの、奥様公認・大義名分の有る“料理店巡り”のチャンスまで貴方に奪われたとあっては……」

何となく納得しパーティー会場に戻る。

マイクを持った井上が参加者に向かい、
「さて、皆さん。本日は特別に日本語の曲が満載の最新カラオケマシンを、“ビッグKARAOKE”さんのご厚意で借りてきました。皆さん、どんどん歌って下さい! では口切りとして、不承この井上が、母校:西北大学グリークラブ出身の名誉をかけて、去年日本で大ヒットした米米CLUBの“浪漫飛行”を歌いまーす!」

井上の歌はマァマァだった。

『さすがは歴史と伝統を誇る、天下の西北大学グリークラブ出身だ。軽妙なJ-POPを、しっかりした発声法で、音程を外すこと無く、器用に歌い上げている、けど、それだけだ。プラスαが感じられない……』

「井上さ-ん! 良かったですよぉ♡」と竹原典子が手を振るのが目に入る。

何だか、対抗心が芽生えてきた。
そんな時、歌い終えた井上が此方に向かい、話しかけてきた。

「次は、“マカオの帝王”さんに歌って欲しいなぁ。曲は何でも揃っていますよ。あぁでもマカオでのギャンブルで手一杯で、カラオケまでは手が回らないか……、けど、せめて一曲だけでも如何ですか? 同じ“昭和59年会”の同期でもある訳だし、是非一曲!」

そこへ竹原典子が割って入ってきた。

「そうですよ!“マカオの帝王”さん♡ こんなに会長が頼んでるんだし、今日はクリスマス&忘年会ですよ! ワタシも聞きたいなぁ♡♡」潤んだ瞳で見つめられる。

「このところ仲の宜しい竹原さんにここまでお願いされても、マイクを握らないのですか? “マカオの帝王”さんも案外意気地の無い……」そう呟きながら、井上が握りしめていたお絞りをテーブルに投げ捨てた!

『中世ヨーロッパでは、遺恨のある騎士同士が姫を巡り争う際、汚れた手袋を相手の目の前で叩きつけるのが、決闘の儀式だったそうだ。これは折角自分が、“姫(=竹原典子)の前で準備した、カラオケ対決から逃げるのか? という挑戦状という訳か。見くびられたものだ……、余は帝王! 引かぬ! 媚びぬ! 省みぬ! だ。お望みなら受けて立つぞ!』
頭の中で、スィッチが入った。 

「そうですか……、分かりました。ではリクエストにお応えして、一曲披露します。ちょっとビールを飲みすぎたので、トイレに行く為、間に一人お願いします」と答える。

「ほほぅ? これは予想外だ。まさか“マカオの帝王”さんの歌が今夜この場所で聞けるとは思ってもなかった。これは愉しみだなぁ……」井上が嫌味ったらしく口を開く。

トイレの個室で、母校である浪速大学で2年の冬まで在籍していた総合音楽集団“雑草”(所謂、J-POPの走りとも言える、“ニュー・ミュージック”を中心とした、バンド有り、コーラス有りの軽音楽サークルのようなもの)の中で、一人だけ異次元の歌唱力を誇っていた、2学年上の同じ航空宇宙工学科の先輩から浪速大学を卒業前に聞いたアドバイスを思い出すため、記憶の糸を辿った。



1984年2月 浪速大学キャンパス内の学生会館 航空宇宙工学科 卒業・修了合同パーティー 

「先輩、3年ぶりですね、今度は大学院の修了、おめでとうございます。それと、春からは宇宙開発事業団ですか? 先輩は本当に凄いや。あそこは東大卒の牙城だそうだけど、是非とも先輩の修士論文のテーマだった、『無人ロケットによる、小惑星帯からのサンプルリターン』を実現させて下さい!」

「そうだね、地球から3億km離れた小惑星にロケットを誘導し、表面の物質を採取して、それを地球に持ち帰る、その夢を実現する為1年間、“院浪(大学院に入る為、勉強すること)”までしたのだから、夢を実現する為に頑張らないとね。モノになるのはいつのことやら……ところで、何で君は途中で“雑草”を辞めちゃったのかなぁ? 79年の春に入部した新入生の中じゃ、ボーカルとして音感、声の質、共に君が一番だったよ。殆どの者はどっちも駄目か、良くてどちらか一つだ。けど、それじゃあどんなに練習したところで、人様に聞かせるレベルには到達しない。同じ航空宇宙工学科の後輩でもある君には期待していたんだけどなぁ……」

「そんなぁ、買い被りですよ。僕の歌なんか、先輩に比べたら足元にも及びません。それに僕がバンドを諦めたのは、先輩のせいでもあるんですよ?」

「僕の?」

「そうですよ、先輩の卒業記念コンサートの前座で、2年の僕のバンドがサザンの“いとしのエリー”を演奏したこと、覚えてますか? 結構練習したのに、会場からはブーイングの嵐で、あの時は凹んだなぁ……、それに比べ、真打ちの先輩が歌った、クリスタルキングの“大都会”は会場全員からアンコールの嵐で、正直圧倒されました。これじゃぁ、この先どんなに頑張っても、先輩には一生かなわない……そう思い知らされたので、退部届けを出した訳です……」

「そうかぁ……、せめて一言相談してくれれば良かったんだが……、ところで就職は初芝だって?」

「はい、宇宙への夢は破れたものの、世界を相手にビジネスを、という夢はまだ捨ててないので、それが出来そうな会社を選んだ訳です……」

一瞬の沈黙の後、これが最後と、思い切って口を開いた。

「先輩、もし良かったら、最後に、何ていうか、歌を上手に歌う“秘訣”みたいなものがあるのなら、教えてくれませんか?」

「お安い御用さ、今から言う七つのことをことを覚えておくこと、良いね?

明日のために、その一)
自分と声の質(音域)が良く似た歌手の歌を選ぶこと。 
具体的に言うと、その曲のサビの高さが、自分の声の限界の少し手前にある曲を選ぶことだ。それが一番上手に聞こえる曲な訳だ。そういう意味では、卒コンで君が選んだサザンの“いとしのエリー”は選曲ミスだったな。確かにあれは名曲だけど、幾ら上手に歌ったところで、良くて桑田佳祐の物真似に終わるだけだ。それに君の歌い方や声質と合ってないから、物真似の域にも到達しない。君の場合は、そうだなぁ……、今年流行った、H2Oの “想い出がいっぱい” なんかが合うんじゃないかな?

明日のために、その二)
抑揚をつけること。
聞き手に感動を与える為には、サビの前後で強弱をハッキリとつけることが重要、しいて君の弱点を挙げるとしたら、全般的に一本調子で、抑揚に欠けるところだ」

「そ、それは僕も思ったことが有ります。けど、歌い出しを小さな声にすると、良く聞こえない! と観客に文句を言われ、サビで大きな声を出すと、音が割れてぶち壊しになってしまい、うまく行かなかったのですが……」

「それは簡単なテクニックで十分カバー出来るよ。良いかい? 

明日のために、その三)
マイクを上手に使うこと。
声の強弱だけで抑揚をつけるのは、僕でも難しい。だから、マイクを上手く使うことだ。良いかい? 歌い出しはマイクと口を“やや”離して、斜め45度位の角度をつける。こうすると余り音を拾えないので、自然に小さくなる訳だ。中盤ではマイクと口の間の距離を標準に保ちつつ、マイクの角度を60~70度位の水平に近づける。これで音は自然に大きくなってくる、そしてサビだ! ここではマイクと口の距離を近づけるだけじゃなく、マイクを口の真ん前で水平にする、これでマイクは君の声を最大限拾い上げてくれる訳だ。勿論、声自体も少し大き目にはする訳だけど、この組み合わせで聞き手には抑揚がハッキリついているように聞こえる訳さ。そして最後はマイクを少し離しつつ、角度を斜めにする。これで自然なフェードアウトが決まる訳さ。

明日のために、その四)
歌詞は覚えること。当たり前だね。

明日のために、その五)
歌う前に、喉の奥を拡げる為に、口を大きく開けて思いっきり“欠伸(あくび)”を数回すること。
これで高音が出やすくなるからね。あと、少し水を飲んで潤しておくこと。ビールは控える。

明日のために、その六)
目を開けて歌うこと。
良くプロの歌手でも、目を閉じて歌う人がいるけど、それじゃプロ失格だ。
空間を超えて聞き手に届く声は、しっかりと喉を開けて、目を開いて、気持ちをリラックスさせた時に生まれるからね。

明日のために、その七)
外見も重要……
君が郷ひろみよりハンサムなら、彼の歌を歌うのも良いが、そうで無い以上、幾ら上手に歌ったとしても、外見で見劣りする分、マイナスの評価となる訳だ。だから君が歌うべきなのは、歌は良く耳にするが、歌い手の外見は余りパッとしない、そうだなぁ、アリスやチューリップのようなグループの曲を選ぶと良い、そして自分自身の外見にも気を配ることだ」

「ちょっと待って下さい。外見と言われても、男なのに整形手術でもするんですか?」

「違う、違う。少しで良いんだ、君の場合は鼻筋や顔の輪郭など、素は悪くないのだから、その野暮ったいメガネを外し、髪は七・三分けを崩して、後は……、顔を思いっきり水でバシャバシャ洗うことだ、その際、ついでに髪の毛にも水を掛けると良い。それだけで、“水も滴るいい男”の誕生だ!」

「そんな、単純な……」

「いや、これが意外と効果的なんだよ。実をいうと自分も今までコンサートの直前にはいつも実践していたんだよ。遠目には、水と汗の区別なんかつかないし、一生懸命さをアピールするには、一番手っ取り早い訳さ」





『良し、9年前の先輩のアドバイス(明日のために、一~七)を思い出した。まずは欠伸だ。フゥー、フゥー、フゥー、よし、段々喉が開いてきたぞ。肝心の選曲だが、譜面を見ずに歌えるとなると、やっぱりH2Oの “想い出がいっぱい” だな。次はメガネを外して顔を水で洗う、と……おっと、髪にもかけるんだったな、こんなものか? よし、では決戦の場に戻るとするか!』

会場に戻る。

「マカオの帝王さん? あれ何だかイメージが違う……、何だかさっきまでよりカッコイイ……」竹原典子が驚いた表情を浮かべる。

歌本を捲りながら、リクエスト曲を告げる。
「それじゃあ、竹原さん、H2Oの “想い出がいっぱい” を原曲キーでお願いします。この歌は知ってるかな?」

「はい! 高校生の時、流行ってましたから、懐かしいなぁ……」
「それは良かった」

ステージに上がる。

前奏が流れてくる。

口とマイクをやや離し、45度の角度をつけてゆっくりと歌い出す。

「古いアルバムの中ぁにぃ 隠れてぇ 想い出がいぃっぱぁい……」

パーティー会場のざわめきが消えた。

「手に届く宇宙は 限りなぁく澄ぅんでぇ君を包んでいたぁ……」マイクとの距離をやや近づけ、角度を65度にする。

一同、驚愕しながら聞き入る。

「大人の階段昇る 君はまだぁ シンデレラっさ しあわせは誰かがきっと 運んでくれると信じてるね」 口をマイクに近づけ、角度を水平にし、声を割れない程度に大きくする。
(勿論、目は瞑らない)

そしてフェードアウト……

一瞬の静寂の後、井上の時の何倍もの拍手喝采! 
誰彼とも無くアンコールの渦が巻き起こる!

『勝ったな。ゼミで習った流体力学の基礎となる“ナビエ=ストークス方程式”は、これまでの人生では何の役にも立たなかったけど、先輩のアドバイスには大いに助けられた訳だ。あと、井上だが、さすがは西北大のグリークラブ出身だけのことはある。音程もしっかりしていたし、ちゃんと腹式呼吸も出来ていた。純粋な歌唱力では奴の方が上だっただろう。けど、奴は自分が“西北大のグリークラブ出身”だと口を滑らしたことで自ら墓穴を掘ってしまった。これは言わば“逆ハロー効果”だ。少々歌が上手でも、井上本人の力ではなく、グリークラブのお陰だと割り引かれてしまう……、それに加え、奴の外見はどう見ても1/8は白人の血を引いているという、米米クラブのボーカル、カールスモーキー石井と比べると劣る。これも聞き手にとっては減点対象となる。確かに2年前にはJALのイメージソングとしてミリオンセラーだったが、時流に乗っただけの歌は旬を過ぎると???となる。選曲ミスだったな……』

小さく手を上げ、マイクを置く。

メガネが無いので、良く見えないが、竹原典子も何やら声を張り上げながら、手をグルグル回している様子。(片隅で、悔しげに唇を噛みしめる井上)

ステージを降り、元のテーブルに座る。

「素敵♡♡ まさか“マカオの帝王”さんがこんなに歌が上手だなんてぇ、もっともっと聞きたいなぁ~ 他にはどんな歌を?」

「そうだなぁ、尾崎豊の“I LOVE YOU”とか、チャゲ&飛鳥の“SAY YES”とか、槇原敬之の“もう恋なんてしない”だとか、(※ 今から思えば、何故か皆さん、薬物大好き人間でした。ギャンブル依存症者としては、“類は友を呼ぶ?”的な何かがあるのか?)時々レンタルして観ている日本のドラマの主題歌が多いかな? 2~3度聞いたら大抵の歌は歌えると思うよ」

「ワーイ♡ じゃあドンドン歌って下さぁ~い! あっでももうすぐクリスマスだから、クリスマス・ソングも良いかも……」

ポケットからメガネを取り出し、掛けようとすると、竹原典子に遮られる。

「もうちょっと、そのままでいて下さい♡ うーん、斜め45度でストップ! そうそう、そこで前髪を少しだけバサバサにすると、うん♡ ますます良い感じぃ! こうしてマカオの帝王さんの横顔を見ていると、中学の時のバレーボール部の~」

「前に聞いたよ。顧問の先生に似ているんだろ?」

「違う違う! 歌が上手くて、横顔が素敵だった、憧れの男子バレーボール部のキャプテンに良く似てる♡」

「それは、どうも……」(昇格!)

依然として、会場内にアンコールの声が鳴り止まないのにウンザリしたのか、幹事の特権として、井上は最終奥義を繰り出した。

「えぇ~ 公平を期すために、カラオケは一人一曲だけとします。他に誰か歌いたい方は……、どうやらいないようなので、宴たけなわですが、会場の都合も有りますので、そろそろお開きにしたいと思います。それでは皆さん、メリー・クリスマス……」井上が閉会を宣言する。

「もっと、マカオの帝王さんの歌が聴きたいなぁ♡」ほんのりと頬を茜色に染めた竹原典子が瞳を潤ませながら呟く。

「それじゃあ、この後タクシーで銅鑼湾に新しく出来た、KARAOKE BOXに二人で行きますか? そこで朝まで竹原さんの為に、山下達郎の“クリスマス・イブ”、浜田省吾の“MIDNIGHT FLIGHT-ひとりぼっちのクリスマス・イブ”、杉山清貴の“最後のHOLY NIGHT”、稲垣潤一の“クリスマスキャロルの頃には” などのクリスマス・ソングを片っ端から歌いますよ!」

笑顔で頷く竹原典子。

それを横目に見ながら、満を持して準備したカラオケ対決で一敗地にまみれた井上は、足早に姿を消した。
こうして、バブル経済真っただ中で開かれた、返還前の世紀末香港で繰り広げられた、クリスマス&忘年会は幕を閉じた。

ラスト・クリスマス(1996)完結編【破】へ続く。


このReportへのコメント(全 2件)

2021/01/22(Fri) 18:55

くるくる

マカオの帝王さん、

こんばんは!
これは。。。「打倒半沢直樹」を目標に掲げる某テレビ局がゴールデンタイムにぶつける大型ドラマのシナリオですか?笑

続きを楽しみにしています(^O^)/


2021/01/22(Fri) 22:24

マカオの帝王

くるくるさん、こんばんは!

バレましたか……、これは"半沢直樹"+"課長 島耕作"÷2 に、90年代のJ-POPをバックに、主人公が香港・マカオを24時間で駆け回るという、2時間ドラマの原作です。
続編の【破】では、あの東洋の魔窟、悪の総本山、一度足を踏み入れたら、二度と生きては出られない、と言われた、"九龍城塞"まで出てきます!


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