リゾカジ カジノレポート

ラスト・クリスマス(1996)完結編【破】

* マカオ 2021/ 01/ 24 Written by マカオの帝王

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ラスト・クリスマス(1996)完結編【破】

1993年 旧正月明けの日曜日 香港 九龍 ペニンシュラホテル・ロビー

「それで、竹原さん。折り入っての相談というのは?」

「それがぁ……、私の周囲の日本人は、花の独身者か、夫婦円満なカップルばっかりで、そのどちらでも無い、奥さんと別居中? の先駆者? となると“マカオの帝王”さん位しかいなくて……」

「それは、光栄だけど、具体的には何をどうすれば良いのかな?」

「私、今の香港人の旦那と、離婚を前提として別居しようと思います。もう色々限界でして……、あーあぁ、やっぱり間違ったかなぁ?実は大学時代、合コンで知り合った弁護士志望の東大生にプロポーズされたことが有ったのですよぉ」

「それで?」

「でも、その人を断って、“若気の至り?” で留学生だった今の香港人の旦那を選らんじゃったんですけど……」

「それはまた、どうして?」

「その東大生の人の顔が、なんと言うか“蛙”みたいで生理的に受け付けなくて、それとぉ“口臭?”が酷くて、だから毎日、バラの花束を抱えて熱心にアプローチしてくる今の旦那に根負けして、香港に来た訳です。けど、失敗しちゃった……」

「昔の人も“過ちて改むるに憚ること勿れ” と言ってるよ、この意味は、“過ちを犯したと思ったら、体裁や体面などにとらわれず、すぐさま改めるべきだ”、って」

「いつも思うのですけど、“マカオの帝王”さんは本当に理系ですか? 昔の言葉を良く知ってるし……」

生返事をする。

「それで、私なりに香港の法律とか色々調べてみたのですけど、今はまだ英国の法律が適用されるみたいで、暫定的に2年間完全に別居出来たら、自動的に離婚が成立するようです」

「成る程……」

「ちょうど来週、旦那が1週間日本に出張するので、その間に引っ越し? 出来れば良いのですけど、引っ越し先は住み慣れた九龍側の中心部で、出来れば家具・家電付で、家賃は格安なところが希望なのです。それに加えて、今の旦那の仕事が不動産屋さんなので、そのネットワークから追跡されないような物件で、且つ、部外者が勝手に侵入出来ないよう、セキュリティがしっかりしていたら、嬉しいんですけど……、それと今のサニー電子の仕事も続けたいのだけど、旦那が会社に押しかけてきたら、皆さんに迷惑がかかるだろうし、会社を変わるといっても、何処に変われば良いのか……、貯金は殆ど無いし、XXX、YYY、ZZZ……」

竹原典子の話は、二転三転・堂々巡り・紆余屈折したものの、それらの中からキーワードを整理し要諦を纏めると以下の通りとなった。

① 別居に向けて電撃引っ越し! 
場所は九龍の中心部で、治安万全、且つ家賃格安! 決行はこの金曜日がベスト!
② 会社はチェンジ! 初芝を含む日系の同業者は避ける。希望は特にないが、強いて言えば、事務よりも人と接する営業職の方ベター。
③ 但し、今のサニー電子で折角築いたキャリアにも未練があるので、2年後、現職に復帰出来ればグッド!

「えぇ、まぁ、その通りです。けど、そんなの無理に決まってますよね? あ~あぁ、ワタシどうしたら良いのかなぁ……」

頭の中の香港の各種コミュニティにおける情報(データベース)の断片を高速で繋ぎ合わせると、何かが見えてきた。

「竹原さん、3日だけ時間を下さい。ちょっと心当たりを尋ねてみます。意外と何とかなるかも知れませんよ! 帝王と言えばナポレオン! ほら、有名な諺があるでしょ。“予の辞書に不可能の文字は無い”って……」



月曜日 初芝電産(香港)有限公司 受付

「いらっしゃいませ!」
今年になって中途入社した、話題の“美人受付嬢”シェリーさん(25歳)、から妙な挨拶をされる。

「シェリーさん、ここは土産物屋じゃないのだから、日本人スタッフへの朝の挨拶は、普通“おはようございます”だろう?」

「えぇ! ワタシ、間違いましたですか? おかしのことですねぇ、日本語学校ではこう教わりましたですが?」

「うーん、それはその学校を変わった方が良いかも知れないね……、ところでこの前の君の入社歓迎会の時の話だけど、何でも“九龍城砦”の中に住んでるとか言ってたけど、それは本当なの? 一般的には、あそこは悪の巣窟で、ありとあらゆる犯罪行為が日常茶飯事で、黒社会の一大拠点だという噂だけど?」

「ハイラー(本当)です。けど、ワタシみたいに親の代から住んでいる住民には、何もしません。狭い廊下の向かいに住んでる全身入れ墨のオジサンは、子供の頃から随分ワタシを可愛がってくれましたけど、噂では泣く子も黙る “三合会(欧米のマフィアのようなもの)”の大幹部だそうです。今朝も『おや、シェリーも“レンノイ(別嬪さん)”に成ったものだ。日本仔(ヤップンチャイ=日本人の蔑称)の会社なんかさっさと辞めて、俺の経営する夜総会で働いたら、ナンバーワン確実なのになぁ……』と言われたですが、適当にあしらってます。ワタシは香港のど真ん中なのに、人情が有るココの暮らしが大好きなので、最後まで残るつもりです。家賃は格安、周囲には医者も歯医者も大勢いて、腕は確かで24時間いつでもOK、免許は無いけど低料金、無問題(モーマンタイ)です」

「そうかい、けど、年末までには取り壊されて更地になるんだろ?」

「ハイラ、ハイラ(そうです、そうです)だから今退去者がいっぱいいて、城内で大家さんをしているワタシの伯母さんにとっては“有問題(ヤオマンタイ”です」

「成るほど、それじゃ、もし僕が保証人で、君と同じ歳の日本人女性が取り壊し迄の期間入居を希望するとしたら、空き部屋はある訳だね?」

「えー!それは沢山有りますですが、お風呂は勿論、窓もないです。大丈夫ですか?」

「その分、家賃は安い訳だろ、それに取り敢えず半年間限定だ。出来れば家具・家電付きが有難い、そして何かあったらいつでも相談出来るよう、シェリーさんの近くの部屋が良いな、早速、その伯母さんに電話で聞いてみてくれ」

最近流行の発信専用PHSを取り出し、広東語で電話するシェリー。

「ワタシの紹介で、初芝の副総経理さんが保証人なら大歓迎。ワタシの三つ隣の家具付でマァマァ広く、部屋にトイレとシャワーが付いている、“九龍城砦”じゃ高級ルームが外の世界の約1/3の月5千元でどうですか? と言ってます」

「うーん、確かに安いがもう一声! 家賃を半年分、現金で前払いするから、半額にならないか聞いてみてくれ」

「ワイ? XXX、YYY、ZZZ」
又も、早口の広東語で伯母さんと会話するシェリー。

「前払いは有りがたいが、それでも月4千元が限界だ、と言ってます。それと家具は有るけど、家電製品は無いそうです」

頭の中で、記憶を辿る。

『待てよ、確か赴任した際に山崎社長から、「良いか、中村君。うちには倉庫が3つ有る。一般の製品を扱う第一倉庫、故障・返品・修理対象製品を専門に扱う第二倉庫、そして型落ち、不人気モデル、誤発注、その他の理由で売れる見込みは殆ど無いのだが、すぐには廃棄出来ないので、仕方なく保管している訳あり製品を対象とする“第三倉庫”だ。これについては、決して日本の本社の海外監査部の連中には悟られないようにな……、それと、“第一倉庫&第二倉庫”は財務担当の総経理が監督しているのだが、今後“第三倉庫”の責任者は君だ。なーに、別にすることは何も無い。年に数回見に行って、倉庫が満杯になる前に、整理する位だ」と言われ、一度だけ山奥に連れていかれたことがあったな。古ぼけた倉庫に番人が一人だけ、中には埃をかぶった旧式モデルが、無造作にところ狭しと押し込まれていたっけ……、確か鍵を預かり、机の引き出しに放り込んだままだったな……』

[良し、じゃあ伯母さんにこう伝えてくれ。初芝の保証人からの贈り物として、少々古いが未使用のテレビ、ビデオ、エアコン、扇風機、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、ラジカセを各10台ずつトラックで送るから、その内ワンセットを今回借りる予定の部屋に据え付けてくれ。そして残りは大家である伯母さんとシェリー、それと何かあった時の用心棒代わりに、その、“三合会の幹部”さんとで適当に分けてくれ!」

今度は割と短時間で話がついた。

「半額でOKだそうです! 今話の有った電気製品一式と前金の1万5千元が手元に届いたなら、いつでも部屋の鍵を渡すと言ってます」

「それは良かった。じゃあ、知り合いには連絡しておくので、早速明日にでも一緒に下見に連れて行ってくれ。同じ歳でもあることだし、彼女のことを宜しく頼む。それと、これはオマケだけど、彼女は東京生まれの東京育ちなので、綺麗な標準語だ。今シェリーが通っているインチキ日本語学校なんかさっさと辞めて、彼女と毎日会話している方が、よっぽど生きた日本語が見に付くと思うけど?」

「承知致しました!」とシェリー。

『やっぱり何か違うけど、まぁ良しとするか……、兎に角これで1stミッション クリア!』と心の中で呟いた。



火曜日 九龍 ネーザンロード 熊猫旅遊社 オフィス

「いつも当社の個人旅行のチケットを手配戴き、有り難うございます。ところで、今日は何やら折り入って相談があるとか?」と日系ローカルの中では大手の熊猫旅遊社の浜田支店長は答えた。

「えぇ、まぁ……、前にお会いしたとき、最近は香港返還を控えて日本からの旅行者が年々うなぎ登りで、語学が堪能なスタッフが足らず、猫の手も借りたい! と仰っていたことを思い出しまして……」

「それは、その通りです。誰か、即戦力になるような人材でも?」

「えぇ、日本人女性で年齢は25歳、現在の勤務先はサニー電子(香港)の営業アシスタントだけど、一身上の都合で転職希望中。 香港人の旦那がいるのでビザも不要。日本人なので当然日本語はOKだけど、生まれも育ちも東京の神田というチャキチャキの江戸っ子だから、綺麗な標準語! 聖ソフィア大学の英文化卒だから英語もOK! 香港で2年間生活しているので広東語もバッチリ! 単なる学生アルバイトとは異なり、香港の実体験が豊富なので、御社に入った場合、即戦力になること間違い無しかと」

「ほぉ~ それは素晴らしい。けど、そんな素晴らしい経歴の持ち主がどうしてウチなんかに転職をご希望なのですか?」

「実は、彼女は香港人の旦那と離婚を前提として別居を計画中でして、引っ越し先はこのすぐ近くに決まったのですが、今の職場で仕事を続けた場合、旦那が職場に押しかけて来るやも知れないので、転職せざるを得ない訳です」

「うーん、それなら初芝さんで引き受けられては?」

「それが、彼女は生粋の東京人なので、どうもコテコテの関西弁というか、関西系の企業が苦手なのと、同業他社への転職はサニー電子への義理も有り、なるべくなら避けたいと……」

「それはそうでしょうが……、分かりました。では一度面接することに……」

「その前に、あと一つ。彼女が即戦力になるだろうことは僕が保証しますけど、彼女には2年間の別居後、正式に離婚が成立すれば、サニー電子(香港)に復職したいという希望が有ります。だから、言わば2年間の“期間限定”社員ということで採用して欲しいのだけど……」

「??? 中村さん。多少の“訳あり”は我慢するとして、折角仕事を覚えて貰って、漸く戦力になったところで、2年後にサヨナラすることが決まっている、そんな人を採用する旅行会社は有りませんよ、残念ですが他を当たって下さい」と浜田支店長はあきれ顔で気のない返答。

『やはりそうなるか、仕方が無い、奥の手の出番だな……』

「エッと、今から僕が喋るのは独り言だと思って聞いて下さい。現在、初芝関係の法人・個人の旅券の手配は全て大手の大日本旅行社に一任していることはご存じでしょう。けど大日本はこの一社寡占体制に胡座をかき、割引率も低く、サービスも今一つなのが現状です。そこで、ビジネス関係はともかく、プライベートな旅行のチケットに関しては、御社のような、割引率が高く、サービスの良い、優良ローカル旅行代理店数社に委託したらどうか? と昨日の社内会議で社長に提案した次第です」

熊猫旅遊社の支店長の顔色が変わった。

「すると、日頃から大日本の接待漬けで上手い汁を吸っている営業の連中は、現状維持を唱えたのですが、経費節約を考える財務担当の総経理と社長が乗り気になってくれたので、近く優良ローカル旅行代理店数社にコンペの招待状を送ることになった次第です。」

「そっ、その際は是非ウチもコンペに参加させて下さい!」

「確か支店長さんも聖ソフィア大学のご出身だったのでは? まぁ、僕としては異国で困っている母校の後輩の為に一肌脱ぐような、男気溢れる支店長さんのいる会社にコンペで勝って貰いたいのですが……」

「あぁ、分かりました! では早速、明日にでもその女性を面接します。何なら支店長特権で、この場で仮採用にしても良いです。ですから我が社を、是非ともそのコンペに参加させて下さい!」

「やっと話が前向きな方向に動き出しましたね。あっ、それから言い忘れたことが後一つあります」

「えぇ! まだ何か有るのですか? もうこれ以上は勘弁して下さいよ!」と困り顔の浜田支店長。

「彼女は美人です。これが彼女の写真です。」
そう言って、彼女の展示会の時のコンパニオン風衣装の写真を見せた。

熊猫旅遊社の浜田支店長(聖ソフィア大学卒業、×イチ、45歳)は息を深く吸い込み、食い入るようにその写真を見つめた。

ドアをあけ外に出て、ネーザンロードを歩きながら、竹原典子の写真を見た瞬間の浜田支店長の表情を思い出した。

『落ちたな……、2ndミッション クリア』と心の中で呟いた。



水曜日 香港 初芝電産(香港)有限公司 オフィス

「久しぶり、最近そっち(サニー電子)の景気は?」と浪速大学の学園祭実行委員会で、学科は異なるが同じ工学部の一学年後輩だった、今はサニー電子(香港)の人事・総務担当の副総経理である前河卓に電話をかけた。
電子工学科で成績優秀者だった前河卓は、4年でキッチリ卒業後、サニー電子本社に就職したのだが、当方は遊び(専らギャンブル)が過ぎて、1年留年した結果、卒業は同じ年(昭和59年)になった為、“昭和59年会”で時折顔を合わせても、お互い同期なのか、こっちが先輩なのか(当方は1浪したので、実年齢は2歳上であった)曖昧な関係だった。

「あぁ、中村先輩。景気は絶好調です。お陰様で竹原さんも連日遅くまで頑張ってくれていますよ。彼女はクライアントの受けも良いし、この調子だと本社採用にしても良い位です」

「そうか、それは良かった。ところで、その彼女に関して、悪い話と、良い話と、微妙な話、が有るのだけれど、どれから聞きたい?」

「えぇ! じゃぁ、悪い話からお願いします」

「分かった。実を言うと、彼女は諸事情により香港人の旦那との離婚を前提とした別居を計画中である。その場合、彼女にまだ未練たっぷりの旦那さんが、狂えるストーカーと化して、そっちのオフィスに押しかける可能性が大きい。そうなった場合、当然業務に支障を来すだろうし、君の監督責任も問われることだろう。また、幸か不幸か君はまだ独身だから、頭に血が上った香港人の旦那が、君を彼女の不倫相手だと邪推し、君に直接的な危害を加えるかも知れない……」

「脅さないで下さいよぅ……」

「別に脅している訳じゃない。可能性の話をしている次第だ。ただ、いくら香港の現地採用社員だといっても、ここまで担当業務に何の落ち度もない彼女を、いきなり首にすることは困難だろう。そこで今から良い話をする」

「お願いします」と前河卓は答えた。

「実は今、彼女の転職話があって、それが纏まれば一身上の都合ということで、自分から辞表を出しても良い、との言質を得ている。おっと、ウチ(初芝)じゃ無いぞ。同業他社でもない。まったくの異業種だ。まぁ、なんであれ彼女ならしっかり勤めることだろう」

「それは良かった。けど、それなら問題は一件落着だと思うのだけれども……」

「そこで最後に、ちょっと微妙な話をする。彼女は何故かウチ(初芝)じゃなく、ソッチ(サニー電子)の会社に深い思い入れがあるようで、英国の法律に基づいて2年間の別居後、正式に離婚が成立したら、またサニー電子に復帰して、今の仕事を続けたいそうだ。ここまで深い愛社精神のある、優秀なセールス・ウーマンの願いを断る訳はないよな?」

「うーん、そう言われても、一旦自己都合で退職した現地採用社員を、2年後また採用、それもキャリアを継続してとなると前例が無いです。幾ら先輩の頼みとは言え、こればっかりは……」

「彼女の香港人の旦那は知っているよな? 大柄で、何でも少林寺拳法の達人だそうだ。この2年後に復職、という条件を聞き入れて貰えない場合、彼女は辞表を出せず留まることになる。それで良いのか? もし旦那から問い合わせが有った場合、『確かサニー電子にはマエカワとか言う独身の日本人駐在員が一人いたっけな……、そいつが怪しいのでは?』 と旦那にチクるかも知れないぞ。それにこれはヨーロッパの諺だけど、2年の歳月は長い、何でも起こりうる。彼女が転職先を気に入って、そのままそこに居着くかも知れない。香港に嫌気が指して、日本に帰国するかも知れない。旦那と復縁するかも知れない。君が日本に帰国するかも知れない。その場合はさすがに後任者に、“約束を守れ!”とは言わないよ。時間は君の見方だ。さぁどうする?」

「もう、先輩には叶わないなぁ……、分かりました。僕もキャリアに傷を付けたくないので、言う通りにします。その代わり、今度マカオで勝ったら、金田中(香港の高級日本料理店)で寿司のフルコースを奢って下さいよ!」

「勿論!」と答えつつ、受話器を置く際、『3rdミッション クリア』と心の中で呟いた。

電話を切った直後に、受付のシェリーからテレフォンコールが入る。
「ナカムラさん。大日本旅行社からです」



10分後、最後のピースが埋まった。



木曜日 九龍 ペニンシュラ・ホテル ロビー 

「ところで、どうだった? 東洋のカスバ、悪の巣窟、と呼ばれる“九龍城砦”の感想は?」

「それが、最初はビックリしましたけど、初芝のシェリーさんに迷路のような建物の中を案内された部屋は以外と広くて、これで半年間たったの1万5千ドルで本当に良いのかなぁ……、と思ったくらいで」

「どうせ年内には取り壊しだ。空き部屋だし、前金で貰うものを貰えれば、大家さんは大歓迎さ」

「それと、ここなら旦那が幾ら香港中の不動産屋に問い合わせても、引っかかることは無いし、もし仮に尾行されたとしても、建物の数か所ある出入口は全て24時間怖い見張り役さんがいるので、部外者は立ち入り禁止だから、外よりよっぽど安心です。」

「それは良かった。いよいよ引っ越しは明日だね。」

「はい、明日はシェリーさんが有休を取ってうちに迎えに来てくれるそうです。姑と小姑には香港人の女友達と二泊三日で“桂林”へ小旅行に行くと言ったら、案外すんなりと許してくれまして……、それにしても、昨日は面白かったなぁ」

「と言うと?」

「ワタシとシェリーさんが二人並んで“九龍城砦”の中を歩くと、皆さんが物珍しそうにジロジロと見るのです。そしてシェリーさんが、その“三合会の幹部”さんに挨拶すると、『こいつは魂消た! シェリーとはタイプが違うが、噂以上の“レンノイ(別嬪さん)”だ。 こうして二人並ぶと、“大富豪夜総会(香港最大級のナイトクラブ)”のVIPルームにいるみてぇだぜ。俺は日本の男は嫌いだが、日本の女は良いと前から思ってたんだ……。それにしても勿体ねぇ。こんな“レンノイ”が二人揃ってウチの店に来てくれたら、連日スケベな客で大入り満員、間違いねぇのになぁ……、それはそうと、結構な贈り物も頂戴したことだし、日本人のお姐ちゃんよ、もしも廊下でイカレ野郎に出くわして、難癖付けられたら、何時でも俺の名前を出してくれ。何たってアンタは俺の娘同然のシェリーのとこの“客人”だからな。アンタには指一本触れさせねぇから安心しな、それともしアンタの香港人の旦那とやらが押しかけてきたら、きっちりクンロクかまして、二度と来ねぇように焼き入れてやるから心配ご無用だ』と言ってくれまして、何とかこれからここを “自分の城” としてやっていけそうな気がしました。それとシェリーさんとは気が合いそうで、良いお友達に成れるような気がします。熊猫旅行社からも仮採用の連絡を頂きましたし、本当に感謝しています♡」

頷きながら心の中で考えた。

『あと一つ、ファイナルミッションが残っている。これをクリアしないと、彼女の熊猫旅行社における立場が不安定なままとなってしまう。折角ここまで来たんだ。あと一つ、何としてもクリアするぞ!』


一週間後

初芝電産(香港)有限公司 大会議室

「本日のコンペは以上を持って終了です。結果は後日連絡致します。お忙しい中、本日はお集まりいただき、誠に有り難うございました」
コンペの司会を務める、財務担当の総経理が締めの挨拶を行った。

コンペに参加した各社が引き上げる際、熊猫旅遊社の浜田支店長から、『頼みますよ……』とアイ・コンタクトを受ける。

ドアを締め、各部門の責任者が集まり審査開始。

「さてと、各社の提案だが、大日本は今までより割引率を3%上乗せする、と言っています。過去の実績を鑑みれば、今まで通り大日本1社に委託を継続するので良いのでは?」と営業の南谷総経理から声が上がった。

それに対し財務担当の総経理から、経費削減の為、新しい会社を最低2社参入させるべき、との意見が出される。

手元に配られた資料では、駐在員のビジネス関係が約70%(これは大日本に継続して委託)駐在員のプライベート関係が約15%、その他(駐在員の家族・友人・知人、等の旅行・宿泊)が約15%であった。

双方譲らず、膠着状態となったところで、社長が口を開く。
「ところで、中村君。君は理系なのに文章が達者だから書記をお願いしている訳だが、君の意見も聞きたいな」

『ここは一つ双方の“面子”を立ててやろう。アヘン戦争の際の英国と清の関係と同じだ。こちらとしては、熊猫さえ参入できればそれで良し。浜田支店長も必死なのだろう、ローカルの中ではほぼ最安値を提示してきた。お互いWIN-WIN の関係に持っていかないとな。ここが勝負だ』

「まずビジネス関係の70%、これは従来通り大日本で宜しいかと思います。次に駐在員本人のプライベート関係分(約15%)ですが、これについては一旦保留としては如何でしょうか?」と腹案を切り出す。

全員からどよめきが起きる。

「と言いますのも、このコンペの招待状を送付した後、大日本の担当者から私宛に直接電話が有りまして、要約すると;
① 大日本では3ヶ月以内に個人旅行に特化した別会社を地元企業と合弁で設立する予定である。
② 今回のコンペには間に合わないが、この新会社は初芝の方針とも合致していると思えるので、是非新会社にチャンスを与えてくれないだろうか? ということでした。
これは我が社にとってもメリットがあるものと思料致しますので、今回は駐在員の家族・友人・知人等のプライベートな旅行・宿泊についてのみ、日系ローカル旅行社の中でベストプライスを提示した会社、うーん、この中じゃ“熊猫旅遊社”さんですかね……、ここの新規参入を認め、駐在員本人のプライベート関係分については、長年の取引も考慮して大日本の新会社が設立出来てから、再度コンペを開き、再検討してみては如何でしょう?」

一同、喧々囂々状態となる。
(推測① 営業責任者)
『これは珍しく中村がまともな提案を出したものだ。大日本のシェアが100% → 70%じゃ困るが、新会社と併せて85%なら、最近の伸びを考えると1年で元に戻る。これなら自分の面子も立つし、大日本も納得するだろう、うん、悪くない……』

(推測② 財務責任者)
『中村君も事前に一言、話してくれれば良かったのに……、けど、この提案が通れば、今回ローカルの中から1社(熊猫)の新規参入が確定し、大日本による1社寡占状態に風穴があくことになる、これは大きい! それに3ヶ月後のコンペだが、大日本の新会社とやらが今一つなら、ローカルの中からもう1社参入させれば良い訳だ。そう考えると中々良いと言える……』

双方、呉越同舟・同床異夢モードに突入し、段々静かになる。

「どうやら皆、中村君の提案に異論は無いようだな」と山崎社長が発言する。

一同頷く。

「それでは賛成多数ということで、新規参入予定の2社の内1社は最安値を提示した“熊猫旅遊社”、もう1社は大日本の新子会社を含め、3か月後に再度コンペを実施し決定することと致します。中村君、議事録を取り纏め、明日皆に配るように。それでは本日の審査会議は終了と致します!」
と司会者が閉会を宣言する。

『ミッション コンプリート』と心の中で呟いた。


         ラスト・クリスマス(1996)完結編【急】に続く


このReportへのコメント(全 4件)

2021/01/30(Sat) 14:04

くるくる

マカオの帝王さん、

こんにちは!
「打倒半沢直樹」の大型ドラマ(笑)はやはり面白いです!

完結編が楽しみです(^O^)/


2021/02/04(Thu) 01:19

マカオの帝王

くるくるさん、こんばんは!

副業の投資関係の “野暮用” で少々手間取ってしまいました……

エバンゲリオンの新劇場版公開にシンクロして、【序・破・急】と連続で投稿したかったのですが、あちらがコロナの影響で公開延期となりましたので、こちらもペースダウンです。

尚、平行してアマゾンのKINDLEに電子BOOK版の【マカオの帝王(1996)ラスト・クリスマス 完全版】をアップすべく、編集中です。


2021/02/09(Tue) 22:52

マリタイム

こんにちは。

巻頭の写真は、太古の益發大履ですね。
僕は2019年7月に訪れました。
(レポート「3度目の公式オフ会、4度目のバカラ、7月のマカオ」(後編)」を参照)
満島ひかりが出演したMONDO GROSSOの「ラビリンス」のプロモーションビデオで知りました。
https://www.youtube.com/watch?v=_2quiyHfJQw

「ラスト・クリスマス(1996)」の結末を楽しみにしています。☆


2021/02/10(Wed) 21:46

マカオの帝王

マリタイムさん、こんばんは!

その通りです、このメイン画像については、かなり悩みました。

今は無き、“九龍城砦” のフリー画像なら、幾らでも有りましたが、若い女性と一緒に写っているものは皆無でした。その中で唯一、それらしき(ラビリンス感たっぷりな)廃墟風の高層ビルをバックに若い女性が写っているのが、これでした。

又、当方が1990年から1994年まで約4年間住んでいたのが、MTRの太古駅の真上に有った日系スーパー “UNY” に直結しているマンションの22階だったので、馴染みが有ったことも理由の一つです。

本日アップされた【完結編:急】で1996年のクリスマス・イブの長い(長い)1日の話は終わりますが、本当の結末については、【後日譚】をお待ち下さい。


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