ホールデムポーカーの極意書

番外編 ミスプレイと番外編
AJPCの開催も一因だとは思うが、今年になってポーカーを楽しんでくれる人々が増えてきた。ブログなどでポーカーについての実績や意見を書いているプレイヤーも多い。あるオンラインサイトでは日本人のブロガー対象のトーナメントも開催されている。
数々のブログを読んでいるとミスプレイを反省しているものも多い。ほとんどはそのミスプレイが原因で死亡したり、致命傷を負ったりした場合を書いている。
私が疑問に思うのは、そのプレイで運良く勝った場合はどうなるのだろうか。ブログなどは他人に読ませることを前提としているので、死亡とか致命傷を負うような劇的な場面しか登場しないだろう。問題は、その場合でもプレイヤーはミスプレイとして認識し、反省しているのであろうか。結果が悪かったから、ミスプレイとして反省しているに過ぎないのではないかということである。
ミスプレイかどうかは、その結果が良かったか悪かったかにかかわらないはずだが、往々にして人間は結果から判断してしまう。極端に言うと、ミスプレイなのに結果がよければナイスプレイと思ってしまうのである。
ポーカーは運の要素があるから面白い。しかしながら、長期にわたってプレイすれば運の要素は排除される。ポーカープレイヤーを描いた映画「ラッキーユー」のDVDが発売されたが、そのおまけ画像で、出演した有名プロが2000時間を越えてプレイした場合は、実力で勝負が決まるといっていた。ポーカーを長期的にプレイするためには、結果から判断してはいけない。結果が良くてもミスプレイはミスプレイなのだ。
では、ミスプレイは客観的に決められるのか。
私は、ミスプレイの判断は主観的だと思う。ポーカーに正解はなく、各プレイヤーのスタイルや考え方によってプレイされるものだからだ。ミスプレイというのは、そのプレイヤーのプレイの基準に反して間違っているにもかかわらず、あえてしてしまったプレイだと思う。その基準はプレイヤーごとに異なり、その基準を確立することこそ、上級者への道だと思う。従って、プレイヤーは個々のプレイをするにあたって、ハンドの内容、他のプレイヤーの心理、チップの状況などを確認し考えてプレイすればよいのであって、「この状況ではやむを得ない。」と考えて、通常の基準を逸脱したプレイをして負けても、それはミスプレイではないはずだ。すなわち、考えないでプレイしたことがミスプレイなのだ。
一つのトーナメントを終わって、プレイを振り返り反省することは上級者になるために必須であろう。私もポーカーを本気で始めた頃は、トーナメント履歴を毎日のように検討したものだ。囲碁・将棋の感想戦のようなものだ。履歴を読むと、ここではこうすべきであった、こうしなければいけなかった。これは単にラッキーだけでなにも考えずにプレイしてしまったなどと反省点がいくらでもでてきた。そして、それを繰り返すうちに自分の基準が確立されていったと思う。オンラインでプレイされている読者の皆さんも履歴を検討されることをお勧めする。(初心に戻らねばという自戒をこめて)
<<ポーカーを楽しもう!INDEX