沖縄の話・・・なんで沖縄に良く行くか

初の沖縄が35年前、高校生の時。2回目が大学生になって。その後社会人になってから、ちゃんと往復飛行機に乗って行くようになる。笑

なんで沖縄に行くようになったか?

・基本的に南の島、リゾートが好き

・海が綺麗

・ゆるーい時間が過ぎている

・ダイビングに嵌る(これが一番大きかったかも)

・大学の後輩が旅行会社に勤務。沖縄の責任者になる(あまり世話になることは少なかったが時折情報を教えてもらう事も)

行くだけでテンションが上がったし、海も、食べ物も、人も音楽も好きなものばかりがあるから、年に1.2回行ける時に行くって感じでしたが(せいぜい2泊ですが)その中でもダイビングに嵌ったのは大きい。

2泊以上の時には体験ダイビングをちょこちょこしたことがあったが、確か、2003年か4年頃か、現地に着いてもらった無料のガイドブック“リッカドッカ”に掲載されていたダイビングショップに連絡する。前日だったが、快く対応してくれた。まだオープンして間もない若者2人で経営しているお店。気さくで非常にホスピタリティが高い。なんどか経験していたからか、最初の説明は丁寧でしたが、海の中に入ると割と自由にさせてくれた。

それからずっと行った時にはお世話になっていて、自社ボートだったので、新しいポイント探しに同行したり、慶良間まで(これは他社ボート)だったが遠征したり。せいぜい2泊で中日にダイビングをするのが常だったので、7.8年体験ダイビングばっかりしかしたことが無く、スタッフからの年賀状には、体験ダイビングのプロ○○様と書かれていた。笑

たしかにライセンスを取る暇も無かったし、体験ダイビングと言いながらいろんなところへ行って、エントリーも自由に、また潜ったら結構勝手にさせてもらっていて(もちろん範囲内で。)、気にはしてなかったのだがあまりにも取った方が良いとの誘いを受けて、4月に休みを取ってライセンスを取ることに。

かなりの本数を潜ってつかれた。ダイビングって思っている以上に疲れますよね。ライセンス講習なのでそんな綺麗なところへ行くのでもないし。。しかもテストは100点満点必須だと。リゾートに来ているのになかなかハードな3泊4日だった。

無事PADIのOPEN WATERなるものを頂く。

もちろん、海外でもダイビングをする事はあったが、私の行ける範囲の海外では沖縄の海が一番きれい。その中でも慶良間はダントツ良い。石垣でマンタも見たし、本島からのポイントも色々連れて行ってもらったが、慶良間で、ウミガメと泳いだのが一番綺麗かった。

その昔(今はそんなことは無くなったが、、)は、飛行機の上と、ダイビングしているときが何よりもリゾだった。

なんでか。

 

 

携帯の電波が届かないから。。笑

 

 

話しがそれたが、そのダイビングショップには今も(しばらく行けてませんが)お世話になっている。

しょっちゅう行くようになったのは、そういった人間関係も大きいかも知れませんね。あとルーティン的になっているのも、(よし悪しありますが)安心していける。そしてそれとは別に新しい発見をすることでどんどん好きになっていけますよね。

昔は、エイサーなんて全く興味がなかったですが、エイサー祭りがある時期を見計らって地元の方に交じって見せてもらったり。

何回行っても沖縄いいですね。

 

 

 

 

沖縄の話・・・情報

オキナワネタ3連投。

 

沖縄の情報がいつも見たくて、スマホのLINEには、沖縄タイムスと、琉球新報が登録してあり、琉球新報はいつもお昼過ぎ、沖縄タイムスはいつも夕方にニュースが配信される。

今年は、モズクが大漁?らしい。とか。なぜか、アボガドの身が大量になっている。とかの情報も身近に知る情報として楽しく見ている。

もちろん社会的なもの政治的なニュース、今は新型コロナの感染状況なども見出しで入ってくる。

デニー知事は、いつも記者会見の時に入場の時に手話で、手話通訳者にご苦労様。ありがとう。と手話をしながら入ってくるそう。動画にもあがっているらしく拝見した。あ、これは新聞ニュースではありませんが。。

 

あ、あと、今やけに流行っているサイトがあるそうです。

そのサイト名が、“ BOOT OKINAWA ” というらしい。ブート オキナワ?

読みは、ぼーっと、沖縄だそうです。ただただ、沖縄の景色(動画)が流れるサイトの様。

1.沖縄気分を楽しみながら「ぼーっと」したい時
2.テレワークでの息抜きに
3.沖縄が恋しくなった時に
4.ぼーっとしてアイディアを考えたい時に

こういう時にご覧ください。とコンセプトの所の利用方法に書かれている。

 

http://www.boot-okinawa.com/

 

ビーチの動画はどれも綺麗で波のリズムが癒されます。意外とサトウキビ畑も、それだけ見たらどこ?ってなりますが、揺らぎがいいですね。どちらも1/fの揺らぎですね。

 

 

 

 

沖縄の話・・・歌

三線の音と唄を聞いたらすぐにでも沖縄に行きたくなる。

高校生の初沖縄から、二回目の大学時代、社会人時代に行くようになってから、沖縄の歌に興味を持つようになっていく。

音楽的センスは全くない私ですが、三線と唄を聞くとしみじみ聞き入ってしまい感動する。沖縄では生演奏がある民謡居酒屋に行ってはこれは何という唄やとか聞いたり、行く前、帰ってからは沖縄の歌、民謡ベストを借りたり、買ったり。

民謡居酒屋では、良く知る流行ってて盛り上がる最近の歌ももちろん大好きだが、安里屋ユンタの様なのも参加しやすくて、とても良い。

歌詞、メロディーともいつ聞いても感動するのが、童神(わらびがみ)。古謝美佐子さんの声に三線が加わると、必ず泣けてくる。でも最初に知ったのは愛知県にいた時に沖縄出身の知り合いに紹介を受けて行ったスナックでスタッフが歌っているのを聞いた時。沖縄の人って、こんなにうまいのか?と感動したことをよく覚えている。いつか生で聞きたいと思ってもなかなか叶う事が無いが、オフィシャルのサイトを見ると今年の12月に大阪の新歌舞伎座でライブがあるよう。騒動が収まったら見れるか??

あと、現地で生で聞いてさぶいぼが出たのが、花~すべての人の心に花を~。

これは、西表へ行った時に乗った水牛車で、おじぃが唄ってくれた。

のんびりとした気温と速度、心地よい揺れ、おじぃながらも力強くもゆっくりとした三線の音、半拍以上?ずれた(ずらした)唄。それが、しゃがれた声と震えとともに全部あいまって、身震いするくらい感動した。

おじぃがすごい人に見えた。

あと、黄金の花。という曲。歌詞が凄い。こちらも都会で働く沖縄出身の方が唄うとしみじみくる。沖縄のうたはどれも歌詞が良いですよね。

上げだすとキリがないくらい素晴らしい歌が一杯あります。

 

 

 

 

 

沖縄の話・・・初沖縄

初めて沖縄に行った時の話。

高校生の時。今から、35年くらい前の話。

なんで沖縄に行きたくなったのか?の動機はすっかり忘れてしまったが、基本真夏と真冬に活性が上がるタイプだったので、一度沖縄に行こうとなったのだろうと思う。

春先から少しバイトで小遣いを貯め、夏休みの前半を使って滞在費を稼いだ。

夏やすみも終わりかけの8月末での日程で激安のツアーを見つける。6泊7日でいくらだと思いますか?

 

 

 

なんと、15,800円。

 

なんでそんな安い?理由は?往復ともなんとフェリー。現地2泊。船中なんと4泊。船上に40時間以上。時間はあるが金はない我々にとっては素晴らしいツアー。ホテルは国際通りから少し外れたところにある名前は忘れたビジネスホテル。本当に寝るだけ。朝ご飯は付かない。

 

南港だったと思うが初日夕方?夜?に船に乗り込む。何等船室とか分からないがだだっぴろい部屋に20人以上はいたような。大体20歳ちょい?くらいの大学生らしき人たちばかり。オレンジ色の樹脂のカバーの枕とザラザラした毛布が一枚配布される。好きなところで寝ろって事か。あ、私は高校から仲良くなった旅好きの野郎と2人の参加です。向かいにはこんなところには不似合いなカップル。あと反対側に3人組の男性グループ。後は全部女性。なかなかすごい時代でしたね。今やあり得ない。

40時間はなかなかの道のり。2回夜を越さないといけない。笑

最初は、甲板にでて景色を眺めて楽しんでいたが、すぐに飽きる。腹が減る。無駄遣い出来ないが、いろいろ見ると、レストランがあり、ハンバーグ定食がなんと1,000円。当時、なかなか高価。一方、カップラーメンは250円。初日の夜はカップラーメンで決定。いつも腹が減っている年頃だったが、我慢しながら寝る。

翌日起きて甲板に肌を焼きに行く。腹が減ったのでまたカップラーメン。2食目だが腹が減っているので美味い。午後、甲板でフォークダンスをするので、誘われる。まとめているのは、如何にも沖縄に遊びに行くぞ!って感じの大学生グループ。それでもみんな暇なので、素直にフォークダンスを楽しむ。笑

その後山手線ゲーム的なものやトランプに興じるも時間がなかなか過ぎない。

後々聞くと、そのまとめていた大学生はお盆明けに一度大阪に用事で帰ってきた人らしく、毎年夏休みの間、沖縄で働いているのだそう。なので、船での楽しみ方も慣れたもの。沖縄ではめっちゃもてるらしい。特に大阪人はもてるらしい。(怪情報を得る。笑)

やっとこさ夜。ちょっとカップラーメンは飽きた。思い切ってレストランに入ることに。ハンバーグ定食を食べる。以外に美味かった。腹減っていたらそうか。

その後、折角なので、風呂があるので風呂に入ることに。なんとこれが凄い。外洋に出ているので結構揺れる。お風呂のお湯の水面が激しく揺れるので、それを見ていると一気に酔う。

ふらふらになりながら、2回目の夜を越え、到着する日の朝早い時間に目覚める。周りをみると、年頃の女性のあられもない姿が。。初日はそうでもなかったが、こんなに長いこと一緒にいるとあまり意識されない存在になるのか?と思った記憶。

奄美大島を経由して、那覇に到着。

久しぶりに陸に上がるが、しばらく身体が揺れている。この揺れはかなり長い時間続くので、現地2泊とかではかなりしんどい。

でもそこは若さでとりあえずホテルへ。荷物をあずけて国際通りを探索。お土産屋さんも見るのが楽しい。あっとゆう間に時間が経つ。初めてブルーシールアイスクリームを食べて感動。

夜は、30年以上前から有名だったジャッキーステーキハウスに行くことに。レンタカーなんて借りれないので、てくてく歩く。30分くらい?もっとか。

なんかわからんが、やたら美味い!!って記憶。実際の味よりも、沖縄来て肉食った!って感動がよりそうさせてたのだと思う。唯一仕入れていた情報で目的の一つでもあったからか。とても満足してホテルに戻る。

次の日は、北の方のビーチに行くことに。当時得られる情報も手段も無かったので、地図を見たら、恩納村にビーチが並んでいるのでとりあえずそのあたりまで行こうか。という話になる。

で交通手段は、バス。もう記憶がないが、宜野湾くらいまでまず行って乗り換えたか。嘉手納だったか。一回乗り換えたかな。ひたすら58号線を北上する。この58号線、鹿児島市内まで続いているんですね。海上を越えて、奄美大島と種子島にも通っている。海上を入れると日本で一番長い国道だとかそうでないとか。

1時間以上乗っていると、山田、仲泊あたりで素晴らしく綺麗な海が現れる。一気にテンションが上がる。さてどのあたりで降りるか。

なぜか、タイガービーチで降りようという事になる。

当時は、ホテルが併設されている訳でもなく、ただただ美しいビーチがあるような所だった。周りには何もないので現地の人たちが来るところなのか。。

今地図を見ると、バス停はタイガービーチ前と残っているが、いまはホテルモントレになっている。4.5年前にビジターでタイガービーチを訪れようと来た。整備がされており、もっと綺麗になっていた。

水が水の色やん。綺麗すぎる。と単純にはしゃぐ。

何時間居ただろうか。綺麗な海と、素晴らしい夏空にいたく感動。

ぼちぼち帰り支度。国道に出て渡って向かいの南行きの方のバス停に向かう。時刻表を見るが、汚れていて見えない。いつ来るか分からない。ボーっと待っていたが、いつ来るか分からないバスを待つのは夕方とはいえこの日差しの中つらい。連れと相談してなんでか、ヒッチハイクしようか。という事に。笑

信号の所で軽く渋滞というが止まったタイミングで、人のよさそうな方に声を掛ける。40歳くらいか? バスの時間が分からない、那覇に行きたい。乗せてほしい。と伝えると。宜野湾の家に帰る途中だったので、宜野湾までなら良いとの事。

人生初のヒッチハイク成功。

話しをしながら南下。その人は、学校の先生らしい。色々と沖縄の事を教えていながらドライブ。快適。そして、予定がないのなら、家に寄っていくか?との事。二つ返事で行くことに。今なら怖いですよね。

道路からもオープンな庭のある結構な住宅。まわりも住宅地。庭にはテラスがあって、テーブルと椅子がある。そこでお茶を頂きながらお話をする。現地の人と色々話が出来て本当に楽しかった。素晴らしい経験が出来た。

バス停まで送ってもらって那覇方面行のバスに乗る。その日の夜ご飯は何を食べたか覚えていない。次の日は、市内散策をしたのをうっすらと記憶。

あっという間に帰り。楽し時間は過ぎるのが本当に早い。

またフェリーに乗り込む。

帰りの40時間以上の船旅はつらい。。。 がその辺の記憶もない。都合のいい記憶ですね。笑

とにかく初めての沖縄は今こうやって思い返しても鮮明に覚えている部分があり楽しかった。そこから沖縄好きが始まるのであった。

あ、ちなみに2回目は2.3年後、大学生になっての夏休みで、行きは船、帰りは何と飛行機のツアーに格上げされたのでした。。。笑

それでも25,800円くらいだった。

それが、1988年くらいか。それ以降もしばらくはホテルとパッケージのツアーを利用して行き、1995年過ぎてからエアとホテルを分けて取ったりしながら、2012年頃からはピーチとかも時期によっては利用したり、JALの特典を使ったり。

次はいついけるだろうか。

収まったら、一人で、日帰りでも行くか。。いや、やっぱ最低1泊しないと潜れないな。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おきなわ産直・完熟マンゴー

沖縄には2018年に行ったきり。2019年はなかなか休めずに近場の海ばっかりだった。今年も計画を立てていたが諸々で断念。沖縄行きたい。。。つか、綺麗な海のとこにいきたい。。。

そんなストレスの中、少しでも沖縄を味わいたくて沖縄の何か買おうと思いたつ。丁度ぐるなび食市場のポイントが1000円分あるのをみつける。

発送は7月中旬ごろですが、完熟マンゴーを発見!2kgで4,980円。ポイントで20%割引。4玉から7玉と書いてある。その頃には、大栄スイカのシーズンも終わっているし丁度いいかな。。

7/15を過ぎても音沙汰無し。しばらくしてメールが。今年は天候の状況で熟れるのに時間がかかっているらしい。ちゃんと丁寧な対応。

完熟なんで、そんなん待ちますとも。って感じ。ちょっと前にクール宅急便で届きました。

 

 

小ぶりですが7個入ってました。持つといい弾力。もう食べれそうなので、再度冷やしてカット。種が思ったより薄いのでかなりの肉厚。もうちょっと攻めれた。笑

 

 

素晴らしい、色合い。食べると絶妙な歯ごたえに濃厚な味わい。うまい。。

しばし、沖縄空想リゾ。

あと、この季節、沖縄に行くと必ず食べるのがスナックパイン。石川ICの近くのマックスバリューで買う。他にも・・・・

あ、沖縄の話になると長くなるので、この辺にしておきます。

・初めての沖縄

・沖縄で買うもの・食べる物

みたいにまとめるか。

こうやって思い出していてもそうですが、三線の音と唄を聞くと一瞬で、あー沖縄いきたい。。。ってなりますね。

 

 

 

 

飛行機関連の話、適当に思いつくまま・・・③

⑦インボラアップグレード

過去覚えがある会社は3社。圧倒的に多いのはJAL(圧倒的に乗っている回数も多い。)もう20年以上前のノースウェスト。もう一つはキャセイパシフィック。

ノースウェストはもうはるか昔であまり記憶が無い。ステータスも何もない時。ただ、お弁当みたいな和食がやたら美味しかった記憶。

キャセイは香港便。どこかで書いたが、JALからの特典航空券で大阪からの往路。機内では初めて食べたガーリックトーストがやたら美味かった印象。JALがワンワールドに加入の年だったと思うので、2007年かな?めちゃ嬉しくて興奮したことは凄い覚えている。

JALでは、2003年以降からしばらくは韓国線に良く乗ったが、結構な頻度で上げてもらえた。あと香港線は悪くてもC席解放があった(のを狙って乗っていた)ので席はビジネスクラスが多かったが、時々ほんとに上げてもらえた。(でも当時はいつも寝不足だったので食事は食べれなかったのでほぼ同じ。。)経営破綻してからはめっきり少なくなった。どこだったか忘れましたが、何度かプレエコへの話があったのですが、真ん中席だったので、お断りしたことがありました。(その時は非常口席だったので)あと、マニラ線でY→Cが2回くらいあったくらいか。確か1回はカウンター1回はラウンジで。

インボラアップグレードってほんと得した気分になりますよね。。実際かなり得ですが。

 

⑧はじめてのピーチ(記憶が断片的)

2012年に関西空港に初のLCCピーチが就航。

ただLCCには興味も無く、遅れるし、やばそうなイメージしかなかった。それまでは、エアアジアのバンコク-ペナンに乗っただけだったのだが、とにかく運賃が安いので一回乗ってみようと長崎行きを発券。あと、乗ってみようと思ったのは、ピーチ保有の機体のA320はすべて新造機でもあったから。確か朝一の便に乗った時、4機駐機してたような記憶。いま調べるとなんと、32機まで増えているのですね。すごい。

当時、関西空港の第2ターミナルは閑散としていて、搭乗券はペラペラの感熱紙(記憶は前後しているかも)。2時間前に行っても何もすることが無い。笑 混み具合によりますが、国内線で持込荷物だけなら、1時間前で充分。待合のソファみたいな所で時間をつぶす。どこかのエアラインがキャッチコピーにしてますが、長距離バスに乗るくらいの気軽さ。

沖止めで歩いて搭乗。飛行機はやはり綺麗で新しいにおい。CAさんは上着は支給で下は個人?友達みたいな感じの軽いノリ。

非常口席を取りましたがやはり広くて快適。朝一の便なので、定刻に出発。

その時だったか分かりませんが、ピーチディニッシュを注文。意外とおいしい。

あっという間に長崎空港に到着。レンタカー借りて1泊でハウステンボスと長崎の街を散策して帰阪。エアチケットだけだたら5千円以下だったので大満足。LCCへの偏見が一気に解けました。ディレイさえなければ、必要なサービスだけで充分。との感想。

それから乗った区間

関西-札幌、関西-沖縄、関西-香港、沖縄-台北、台北-関西、関西-石垣、関西-ソウル

安い時の国際線も感じたが、特に石垣行きのコスパは良い。

国際線では、ビールを買ってつまみを追加(ビールに1つ付いているが)するのが習慣で、かっとのんですこっと寝る。

幸い今まで大きなディレイには当たらずについている。ただ、関西発の時間帯は、出来るだけ朝一の便にしている。駐機している機材ならディレイは無いので。。あ、でも最近は夜中も運行させているのであてにならなくなっているが。

 

⑨JALファーストラウンジ

過去1度だけ、た~またま、プレミアを達成した年があった。ちゃんとJALの戦略にハマり、ずっとJALに一途だったが、なかなか長いのに乗れないので、行ってもサファイヤまでだったのだが、一度だけ同年内に、ニューヨークとシンガポールに行けた事があってその年は最後少しだけ頑張ってプレミア達成した。

もうご存知の方も多いと思いますが、このプレミア、サファイアと色々違いはあるのですが、私的に影響のある大きな違いは2点(2つ目は同行者からすごい!と言ってもらいたい?価値?笑)

・達成翌翌年の3月まで ファーストラウンジが使える

・USJのラウンジ利用、ミニヨンズ含む数種類から選べるエクスプレスチケットがもらえる

ファーストラウンジが使えるのはかなり凄い。ほんとなかなか、普通にしてたらプレミアなんて一生達成できない(ダイヤなんてとんでもない)ものだと思っていた。一度、過去に海外で知り合ったお医者様(リゾカジの方では無かった)が毎年プレミア(ダイヤ?)ホルダーだったので、国際線で往路が同じ便だった時に一緒に入れてもらったことがあった。

その時の込み具合、当時は静かだった。寿司職人が握る寿司を頂けるが、並ぶことも無く何回も食べられる。シャンパンはローランペリエだったか。当時、感動。

頑張って自分で一度は取りたいと思っていたが自分には難易度が高かった。

プレミアになって、成田のファーストは4.5回は利用させてもらったか。国内線はかなり利用した。でも利用時間帯によるのか、結構込んでいる事が多い。

USJは近い事もあり年間パスポートを買う事も多かったので、結構ラウンジは利用した。エクスプレスパスを貰った時には親戚、友人知人には良い顔が出来た。ささやかな喜び。。

昨年、ステータスを達成された方は、今はなかなか使いにくいですが、期間の延長があったようですね。2022年の3月まで?プレミア、ダイヤの方でいつも達成する方でなければ朗報ですね。

飛行機ネタ思い浮かんだら、つづきます。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飛行機関連の話、適当に思いつくまま・・・②

①を書いて、②の途中だったのをほったらかしにしていた。つづき書きました。

 

④ひどかった(ついていなかった)エアライン

一番ひどかった(じぶんがついていなかった)のは、SKYJET マニラから離島に飛んでいる航空会社。調べると機材はブリティッシュエアロスペースのBAe146という機材で、82人から112人乗りのジェット機で運行。以前、コロン、ブスアンガからプロペラ機の欠航が相次ぐ中、次はジェットの威力を発揮して、このSKYJETだと決めて、ブスアンガ行きを予約。

当日2時間前にマニラのタミ4へ。この時、確か朝の8時過ぎ。天気も悪くなさそうで問題なさそう。。と思っていると、ブスアンガが悪天候との事。少し遅れるとアナウンスあるも定刻の10時25分が過ぎる。11時になってもアナウンス無。12時前になって突然キャンセルとの事。ほぼ4時間ほったらかしでキャンセル。ひどい。。友人が先に行っているので、14時台の便(1日2便)が飛ぶのか聞くと、たぶん。との事。振り替えれないかとカウンターで交渉。グダグダお願いし続けていたら、15分くらいして振替できるとの事だったので、また待つ事に。14時になり、またさらっとキャンセルのアナウンス。久しぶりにむかついたが、現地の人は意外と無反応でカウンターに向かう。私は一番にカウンターに戻ってリファンドの交渉。よくある事なのか、連絡先が書いてある紙きれを貰ってここにメールしろ。と。名前は連絡しておくので。との事。何もないタミ4に6時間。休みが少ない中、なかなか体験できない。空港リゾをおくる。笑

エルニド行きのエアスイフト、プエルトプリンセサ行きのセブパシは遅れても飛んでいた。もうこれはコロンとの相性も悪い。コロンもSKYJETも次無いかな。って感じでした。

⑤変な感じのフライト

もう20年以上前のことか?JALばかり乗っていたのですが、伊丹→成田→香港で香港に向かった時の事。伊丹を15時頃出て、成田発が確か18時ごろだったと思う。そして少し遅れて飛び立ち20時頃、機長からのアナウンス。急病人が出たから関西空港に着陸します。との事。機内がザワザワ。

関西空港に着陸したのが20:30頃か。大阪を出て、6時間経ってまだ大阪に戻ってきた(未だいる)のが不思議な感じ。あの時、降機した急病人の香港(中国?)の方、大丈夫だったのだろうか。。

⑥一番すごい空港

最近で言えば、フィリピンのエルニドの空港が沖止めで、バゲッジクレームがカウンター。空港前の道路は土か砂利。昔のカティクランも沖止め、荷物は探せって感じでした。

その一昔前に経験した凄い空港は、20年以上ですが、タイのサムイ国際空港。空港の施設は集会所みたいな感じの大きさで茅葺っぽい屋根で、ドアとかも一切なし。空気も色々ゆるーい感じ。極端に言えば南国のジャングルを切り開いたところに創られた感じ。セキュリティって何?って感じの空港でしたね。。笑

 

 

 

↓ 飛行機関連の話、適当に思いつくまま・・・①はこちら

https://www.resocasi.com/blog_ircafe/2020/07/21/

 

 

日本の素晴らしさ

海外に良く行くようになって外国の方の考え方等で学ぶべき点があったりもするけど、なんやかんや言っていつも改めて日本は凄いなあ。と思う。もちろん、すべてが一番良いとか言う気はないけど、やっぱり日本は良いなあという話。

たまに人に話したくなるのが、新幹線の素晴らしさ。

2004年には転勤先と本社、管轄地の関係で240~250回/年間、乗った事があった。多い時は週に4日間新幹線に乗っていた。今から考えるとあり得ないですよね。笑

浜松⇔名古屋を週二回往復 4×52= 208回

浜松⇔東京 月一回往復 2×12 = 12回

浜松⇔大阪 月二回往復 4×12 = 48回 (三回の時もあれば一回もあり)

ほぼ遅れる事が無く運行。その遅れる事が無く定刻とは、秒単位に定刻。ホームの時計を見ると見事に秒単位で合わせて発車される。何かのテレビで見たが運転手さんはもし数秒の遅れがあっても道中で取りもどしたりするらしい。

また1964年開業以来、死亡事故0、時速200km以上300km近くまでの速度で走る新幹線を通勤電車なみに3~5分で運行させている。

新幹線の車両が故障しないとか、保線の管理、運行管理などはもちろん素晴らしいが、停電しない事も影響するし、運転手さんも体調管理がしっかりしていて時間に遅れない。何かあってもバックアップがある。川上に遡れば、運転手さんが通勤する電車も止まったり、遅延が少ない。それらもあらゆる管理がしっかりしている。薄いかかわりの所まで、みんなちゃんとしているからこそ、秒刻みの運行、正確な運行が出来る。これって当たり前に乗せてもらっているけど、すごい。みんなちゃんと出来るって、そして当たり前にしているってほんとにすごい事ですよね。

とある鉄道会社が、定刻より20秒早く出発して、お詫びの発表があったとか。このニュースは英国BBCでも取り上げられたとか。これもすごい話。

 

 

あと、身近なところで。

これは、京阪電車の路線図。詳しく見ると電車の種類がものすごく多い。

普通、区間快速、準急、通勤準急、急行、深夜急行、快速急行、通勤快急、特急、快速特急、これにライナーある。

なんと11種類もある。どこに行くのに何に乗ったら良いのか、大体どこの駅に止まるかを分かり易くするためだろうか。毎日乗る人には親切なんだろうか。

昔は、たしか普通、区間急行、準急、急行、特急の5種類だった。

大阪から京都方面へ行く時に、土居駅までは普通。守口から大和田までは区間急行、萱島から樟葉までは準急、寝屋川以降は急行、七条以降は特急に乗るって感じで、分かり易かった。

 

 

あ、話は変わりますが、素晴らしさと言えば、JAL。

もちろん定時運行、ハード、ソフトの面などにも定評があります。

ただ、一時はJALのCAさんのひつこいくらい、過剰な笑顔に過剰なサービスに若干引いていた時期があった。けど他の国のエアライン、LCCに頻繁に乗る様になり、それもひっくるめてJALが良いと思えるようになった。

一度、関西空港でLCCのスクートを利用した時の事。その時チェックインのオペレーションはJALに委託されていた。その時のJALの係の方、見事に無表情。アップグレードのお願いをした時も若干面倒くさ気味(に見えた)。

支払いにJGCのカードで払うと笑顔に。こちらもJAL便に乗れなくて申し訳ないです。とひとこと言うと、とんでもないです。といつもの対応に。そんなに極端な対応なんか。と。笑

でもその後に、もちろん仕事の対応だとは思っていたが、目一杯の対応をいつもしてもらってたんだと認識。それから仕事として、素晴らしい対応だと思えるようになる。

嫌味っぽく書きましたが、これからもJALに乗ります。(笑)